『美神の鏡(ミューズのかがみ)』
現身のミューズ、それは脆くも儚い一輪の花……
花に魅せられた男、その男を愛した女、そして花を手折った無垢の魂……
その眼差しは愛故に……
公演詳細
2005年9月28日(水)〜10月4日(火)
於:『劇』小劇場
作・演出/野中友博
料金◎前売:¥3,500 当日:¥3,800日時指定。一部自由席。前売り、予約優先の整理券制です。
当日券、及び入場整理券は、開演の90分前より発行します。
28日(水) | 29日(木) | 30日(金) | 1日(土) | 2日(日) | 3日(月) | 4日(火) |
14:00 | 14:00 | 14:00 | ||||
19:30 | 19:30 | 19:30 | 19:00 | 19:00 | 19:30 |
キャスト
PERFORM
鰍沢ゆき / 佐々木べん / 鈴木淳 / 小林達雄 / 阿野伸八 / 雛涼子
高橋健二 / 畠山里美 / 駒田忍 / 松岡規子
スタッフ
CREW
照明 : 中川隆一 / 美術 : 松木淳三郎(アートパイン)
舞台監督 : 小野八着(Jet Stream) 宣伝美術 : KIRA 制作 : 菊地廣
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CO-CREW
末次浩一 / 中川こう / 大川戸由嘉 / 佐藤由美子 / 藪本悟氏 / 萩谷正人
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THANKS
『劇』小劇場 / 総合演劇雑誌テアトロ/シアターガイド /
K・企画/S2K / P-BOX
はじめに
表現者の衝動は恋に似ている。それが何処に向かっているかは関係ないのだ。ただただ、表現者はその衝動に向かって、絵筆を動かしたり、楽器を奏でたり、物語を紡いだりする。その根源にある衝動の源をミューズと呼び、美神と呼び、モチベーションという言の葉で語ったりする。
「恋」とは、多分、誰もが風邪をひくように、人間誰しもが罹る心の病に違いないと思う。これは、麻疹や水疱瘡のように、一度罹ったら免疫が出来るという物ではなく、繰り返し病まねばならない不治の病だ。免疫なんか無い。繰り返し罹る、不治の病なのである。
そして、その不治の病に罹る事を自ら望み、待っているのが表現者という度し難い人種である。つまり、彼らは自ら病む事を待っているのだ。
だが、人はきっとこの病を欲するのだと思う。「恋」という病を欲するのだと思う。病んでいるが故に、その生を楽しい物だと感じるのだと思う。
「恋」はきっと時と共にその姿を変えて行く。その「恋」の変遷の齟齬(そご)が、人殺しや自殺やテロリズムまで人を駆り立てるのだと思う。四半世紀程前、私は「恋」故に、その創作によって人殺しがしたいという不埒な想いで戯曲という物を書き始めた。ここ10年程、「恋」について語る事をしないで来たが、今にしてそれを再び書く時が来たと、その予感に震えている。
これは「恋」の物語です。そして「愛」の物語です。更に「嫉妬」の物語でもあります。貴方の「恋」と「愛」と「嫉妬」……そして「希望」と「絶望」……それを重ねて頂ければ、それにまさる喜びはありません。
紅王∴野中友博
『美神の鏡』あらすじ
近代日本絵画の世界、その歴史に巨大な足跡を残した写実派の岸田劉生、野獣派の佐伯祐三らが夭逝し、また一方で、雑誌の挿絵画家として数多の美人画を描いた高畠華宵、蕗谷虹児が絶大な支持を受け、また福沢一郎らが、いち早くシュールレアリズムの手法を取り入れていた昭和の初め……
異才の幻想画家、霧原紫苑(きりはらしおん)は、福沢と同じくシュールの技法に歩み出していた。表舞台に出ない彼を支えていたのは、三条伯爵未亡人の葵(あおい)、成金の事業家来栖(くるす)の妻の槐(えんじゅ)、写実主義の画家でかつては紫苑の師であった海棠(かいどう)の娘の麗華(れいか)らの女性達であった。紫苑は、
それらの支持者達をモデルとして、創作を続けていた。
だが、紫苑の創作にとって、最も重要な役割を果たしていたのは、「妹」として共に暮
らしているモデル、咲耶(さくや)であった。ある種の霊感を有するかのような、咲耶の佇まいが、幻想画家としての紫苑の創作を触発していたのだった。咲耶は夢想の中で、蜉蝣(かげろう)と螢(ほたる)と
いう幻と遊び続けていた。紫苑はその「妹」咲耶を、外界から閉ざされた、夢想の空間の中に閉じこめていた。紫苑のモデルでもあり、同じく、絵画の道を志す槐をはじめ、紫苑の支持者である女性達も、また、紫苑を破門し、写実の技法しか認めない海棠すら咲耶の放つオーラの虜となっていった。
そんな中、葵は紫苑に母と息子のように接し、夫のある身でありながら、槐は紫苑と体の関係を持ち、麗華は父の破門した紫苑の許に妻として嫁した。彼女らを含め、海棠も、来栖も、そして紫苑すらもが何かの「嫉妬」を抱えていた。そうした危ういバランスの中で、紫苑の創作は続けられていたのだった。
ある日の偶然が、人々の運命を変える。紫苑の弟子である間久部(まくべ)が咲耶と出会った。間
久部は、浅草の洋食屋のライスカレーや、下町に来る紙芝居の『黄金バット』の事を教える。そして、『世間』に興味を持ち、実際に世間に触れた咲耶の目の前には、夢想の友人である蜉蝣と螢は現れなくなった。そして、紫苑の求める咲耶のオーラも消え失せた。紫苑だけでなく、槐にもその事が分かったのだった。槐は慄然とする
咲耶は間久部と共に、紫苑の許から消えた。それから、幻想画を描いていた紫苑が、写実をする事しか出来なくなった。紫苑は旧師である海棠の教えに従って、林檎の写生だけを繰り返す日々を送った。葵、麗華、そして槐の愛すら紫苑を再生する事は出来なかった
。
そして……
絵を捨ててしまった紫苑と、現世の垢にまみれてボロボロになった咲耶が再会する。その再会の果てに待つ物とは……?
創作の業、創作の罪、創作の傲慢……その果てを見つめる物語。
野中友博プロフィール
1962年 東京都出身 桐朋演劇科16期卒
1984年 劇団青年座入団 同年退団
1985年 TOTAL ART FOUNDATION [P-BOX]結成
演劇部門「パンドラ劇場」を主宰し、作・ 演出家として89年まで活動 。TVドラマの企画などに参加。
1995年 銀座みゆき館劇場プロデュースによるイプセン作「ヘルゲランの勇者達 」の脚色演 出で演劇復帰。 同年 日本劇作家協会加入
1998年 「化蝶譚」でジャブジャブサーキットのはせひろいち氏らを抑え、第 9回テアトロ 新人戯曲賞受賞。同年 演劇実験室 紅王国設立
1999年 菅谷勇氏 難波圭一氏らの劇団 「TBワンスモア」10月公演「倭王伝」の 台本を担当。
白水社 岸田国氏戯曲賞一次選考にノミネートされる。
2003年 『蛭子の栖』で、二度目の白水社 岸田國士戯曲賞一次選考にノミネート される。
上演記録
第壱召喚式 |
1998. 6月10日〜17日 |
第弐召喚式 |
1998.12月2日〜9日 |
第参召喚式 |
1999.11月17日〜23日 |
第四召喚式 |
2000.9月27日(水)〜10月3日(火) |
第五召喚式 |
2001.6月21日(木)〜6月24日(日) |
第六召喚式 |
2002.2月20日(水)〜2月26日(火) |
第七召喚式 |
2002.9月11日(水)〜9月17日(火) |
補完計画−1 |
2003.5月16日(金)〜5月18日(日) |
第八召喚式 |
2003.10月22日〜28日 |
補完計画−2 |
2004.6月23日〜27日 |
第九召喚式 |
2004.10月27日〜11月3日 |