『聖なる侵入(せいなるしんにゅう)』
戦争の理不尽を一身に背負い、
絞首台の露と消えていった数多のBC級戦犯達。
彼らは復讐の犠牲者なのか?
静謐の守護天使が導く、あり得たかも知れないもう一つの昭和史。
未だに終わらぬ私達の国の戦争を見つめる。
公演詳細
2004年10月27日(水)〜11月3日(水・祝)
於:『劇』小劇場
作・演出/野中友博
料金◎前売:¥3,500 当日:¥3,800日時指定。一部自由席。前売り、予約優先の整理券制です。
当日券、及び入場整理券は、開演の90分前より発行します。
27日 |
28日 (木) |
29日 (金) |
30日 (土) |
31日 (日) |
1日 (月) |
2日 (火) |
3日 (水・祝) |
14:00 | 14:00 | 14:00 | |||||
19:30 | 19:30 | 19:30 | 19:00 | 19:00 | 19:30 | 19:30 |
キャスト
PERFORM
中川こう/鰍沢ゆき/佐々木べん/鈴木淳
小林達雄/阿野伸八/高橋健二/駒田忍/増田幸一/他
スタッフ
CREW
照明:中川隆一/美術:松木淳三郎/音響:山口睦央
音響協力:青木タクヘイ(STAGE OFFICE)/舞台監督:小野八着(Jet Stream)
宣伝美術:KIRA/制作:菊地廣
※
CO-CREW
末次浩一/沢村小春/大川戸由嘉/佐藤由美子/藪本悟氏/萩谷正人
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THANKS
『劇』小劇場/総合演劇雑誌テアトロ/シアターガイド/K企画
S2K/ひよこ組/P-BOX
はじめに
今年の年頭、小泉純一郎が初詣と称して靖國神社に参拝して以来、私の関心は専ら靖国問題と戦犯問題に向かって行った。首相が靖國神社に参拝するたびに、中韓などが問題視する「A級戦犯」の合祀は、靖國問題を語る上では避けては通れない。靖國神社は、合祀された戦犯について「昭和殉難者」と呼称している。彼らは不当な復讐裁判によって処刑された犠牲者だという見解だ。それは横浜と各国で裁かれたBC級戦犯処刑者に対しても同様である。つまり、そこにはA級を裁いた東京裁判のみならず、BC級に対する裁判と処刑も不当な行為であり、彼らは復讐裁判の犠牲者であるというというのが靖國神社とそれを支持する人びとの立場である。
東京裁判や横浜裁判が、勝者の敗者に対する復讐だったという指摘はおそらく正しいし、処刑された戦犯の多くが犠牲者であるという事も正しいだろうと思う。ただ、それは何に対する犠牲者なのかを見極めなければならないだろう。東京裁判の最大の欠陥とは、例えばパル判事が指摘したような、「裁く側の手もまた汚れている」という、広島や長崎についてのアメリカの犯罪を不問とした事ではない。それは天皇の戦争責任を不問とした事である。天皇が軍の統帥権のトップにあって、皇軍では「上官の命令は陛下の命令」であったにも拘わらず、何の責任も取らないのだから、他に有罪である被告がいる訳がない……しかるがゆえに、東京裁判や横浜裁判の戦犯たちは殉難者であると認識されたのだ。しかし、彼らを本当に殺したのは何だったのか、或いは誰だったのか……?
私は「陛下の命令」という物を守り、結果として巣鴨プリズンの十三階段を登ったBC級戦犯達に思いをはせてみようと思った。大部分の戦犯死刑囚は「天皇陛下万歳」と叫んで吊されたようだ。今年の終戦記念日に、読売新聞には、「犠牲者としてのBC級戦犯を忘れまい」という主旨の社説が載った。だが同時に、天皇に対する深い呪詛を遺して逝った中島裕雄や、「私は貝になりたい」の遺書を創作した加藤哲太郎、それらの人びとが巣鴨にいたことを忘れまいと思う。
私達は私達の国の戦争を、未だ終わらせてはいない。
紅王∴野中友博
『聖なる侵入』あらすじ
昭和23年暮れ、BC級戦犯死刑囚、辰宮洋介は巣鴨プリズンの第五棟にある独房で、空襲で戦災死した彼の妻の妹、天野渚の幻影と語らっていた。戦犯死刑囚として、否応なく訪れる死を前にして、彼自身の戦争と対峙する事は、義妹、渚の死の意味を問う事だった。クリスマスを前にして、投獄中に生まれた一人娘、祈子(のりこ)の事を洋介は思う。妻の由佳里は、祈子と共にクリスマスを祝うだろうかと……
……昭和55年秋、洋介の遺児、祈子は、恋人、目加田啓吾との婚約を突然白紙撤回した。彼女には結婚を前にして知らねばならない事があった、
「お父さんは戦争で死んだ」
母の由佳里から、ただそれだけを聞かされてきた祈子は、終戦から三年後に生まれた自分の出生について疑念思っていたのだった。彼女は興信所調査員の逸見翔、鳳雪子らに父の死因と出生の秘密の調査を依頼していた。
逸見らの調査で明らかになった事は、軍人会の名簿には祈子の父、辰宮洋介が昭和25年に直江津で戦死したと書かれていると云う事だった。戦後五年も経た後の戦死の記述の謎を求めて、祈子は直江津へ向かう決意をする。
実は、逸見らは、祈子の父が戦犯死刑囚として法務死した事を調べ上げていた。だが、それはまだ語る段階ではない。事実ではなく、真実を知らせたい、そして若い自分達も戦犯という物の意味を理解したいのだ、と……
逸見達の前に現れたのは、かつて巣鴨プリズンで、同じ死刑房に居た鳴滝純平だった。鳴滝は、全てを辰宮の遺族に語る決意をして上京したのだった。鳴滝の語る言葉と共に、再び、物語の舞台は昭和23年の巣鴨プリズンへと戻って……
昭和23年から25年までの巣鴨プリズンと、昭和55年の東京を交錯させながら、問われる、戦争犯罪とは、軍事裁判とは、私達日本人にとっての戦争とは……その深淵を探る。
野中友博プロフィール
1962年 東京都出身 桐朋演劇科16期卒
1984年 劇団青年座入団 同年退団
1985年 TOTAL ART FOUNDATION [P-BOX]結成
演劇部門「パンドラ劇場」を主宰し、作・ 演出家として89年まで活動 。TVドラマの企画などに参加。
1995年 銀座みゆき館劇場プロデュースによるイプセン作「ヘルゲランの勇者達 」の脚色演 出で演劇復帰。 同年 日本劇作家協会加入
1998年 「化蝶譚」でジャブジャブサーキットのはせひろいち氏らを抑え、第 9回テアトロ 新人戯曲賞受賞。同年 演劇実験室 紅王国設立
1999年 菅谷勇氏 難波圭一氏らの劇団 「TBワンスモア」10月公演「倭王伝」の 台本を担当。
白水社 岸田国氏戯曲賞一次選考にノミネートされる。
2003年 『蛭子の栖』で、二度目の白水社 岸田國士戯曲賞一次選考にノミネート される。
上演記録
第壱召喚式 |
1998. 6月10日〜17日 |
第弐召喚式 |
1998.12月2日〜9日 |
第参召喚式 |
1999.11月17日〜23日 |
第四召喚式 |
2000.9月27日(水)〜10月3日(火) |
第五召喚式 |
2001.6月21日(木)〜6月24日(日) |
第六召喚式 |
2002.2月20日(水)〜2月26日(火) |
第七召喚式 |
2002.9月11日(水)〜9月17日(火) |
補完計画−1 |
2003.5月16日(金)〜5月18日(日) |
第八召喚式 |
2003.10月22日〜28日 |
補完計画−2 |
2004.6月23日〜27日 |