はじめに
戦後半世紀以上経った今でも、まだ、当たり前のように社会問題はあふれ、生命は常に危機にさらされています。物質的に恵まれ、社会的地位も安定し、一見、何も困っていないような人々が、実は、とんでもない社会の渦に巻き込まれ、病んでいるのではないかと考えさせるのがこの作品です。
日本ではかつて、渋谷のジァン・ジァンで(現在はないが)15年ものロングランとなり、話題を呼んだこの作品は、いまだにフランスで連日上演され続けています。書かれてから半世紀以上も経った今でも、時代遅れになるどころか、現代の人間像にピッタリに思えてならないのは私だけでしょうか。
この作品を、女性だけのカンパニーで行い、“テーマが男女間の性である”という、よくありがちな解釈に制限されず、広がりをもたせた現代的解釈として公演してみたい!ノノ言葉の解体と称されたイヨネスコの作品だけに、「言葉」と「身体」と「感情」を分解するという冒険に適している!ノノと私は思いました。
今回の公演では、役者とダンサーと浄瑠璃の三位で、この実験を試みてみました。また、モダンダンスの母と言われるイサドラ・ダンカンの踊りの要素を取り入れ、演劇のルーツにも関係するギリシャのコロスの存在を意識して、登場人物の女中を演出したのも原作にはない点です。さらに、日本の伝統芸能である浄瑠璃を取り入れることにより、言葉と身体の切り離しだけでなく、翻訳劇に日本の文化をドッキングする新しい試みも行ってみました。
しかしながら、4ヶ月前、登場人物の教授が、作品中で『人は何事にも備えていなくてはなりません』と語っているにもかかわらず、実際、教授役の私が何事にも備えられず、倒れ、いきなりVol.1公演が幻と化してしまい、多くの方々にご迷惑をかけてしまいました。
将に、作品が言わんとしている事件のひとつが、私の身の上に起こってしまいました。お陰さまで、この教訓をバネにし、今回はキャストも増え、備えを万全にし、新たなVol.2公演が誕生できるものと確信しております。
どうぞ、安全な客席?で、幻のVol.1公演から進化した舞台を、ごゆっくりお楽しみ下さい。
梗概
老教授の書斎にその日40人目の生徒がやって来て、奇妙な個人授業が始まる。最初は熱心だった生徒も、算術、言語学と進むうち、次第にその気力を失っていく。逆に老教授は、自らがつむぎだす言葉に世界にからめ取られ、狂喜の瞬間を迎えた時、無意識にその生徒を・・・・。
やがてまた41人目の生徒が老教授の元を訪れて・・・・。
円環構造が孕む、果てのない不気味さと矛盾が引き起こす、狂喜に満ちた不条理劇の傑作に、浄瑠璃と三味線、ダンサー、俳優たちが、各々の分野の力を駆使して挑む、不条理劇の新世界(解体と構築)・・・・・!
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