感謝を込めて……
長い間お付き合い下さった[三文役者の哀歓]も今回が最終回である。
感謝。
いざ終わるとなると、まだ書き足りない事が山ほどあるような思いがして、眠れない夜を悶々(もんもん)と過ごしている。
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徳之丞七変化? |
18歳で大志を抱いて東京へ……大学へは入ってみたものの見事に挫折。偶然、21歳で芝居の世界(劇団四季)へ足を踏み入れて、ただただ長く暗いトンネルを彷徨(さまよ)いながら、絵描きか、学者か、役者か分からないような時間を27歳まで過ごしてしまった。
28歳から38歳までは、故郷の大阪へ戻り、親の残した借金の返済のため、鉄工所の経理と役者の二足の草鞋(わらじ)で、あっという間に10年が過ぎた。39歳で芝居の世界をきっぱり諦(あきら)め、タクシードライバーになったが、2年目で大事故に遭い、また二足の草鞋(タクシー運転手と役者)を履くことになったが、その草鞋も事故の後遺症で、45歳でとうとう擦り切れた。
ここでやっと三文役者の一本道が見えてきた。46歳で演劇舎[徳田塾](後、劇団スタジオ・鏡に改名)を立ち上げた。周囲に「一年で潰(つぶ)れる」と陰で囁(ささや)かれながら6人で出発。神は私に何をさせようとしているのか、もう潰れるかもう潰れるかと、周囲に期待されながら、20年も続いている。今は公演の度に暖かいお客さんの声援が耳から離れず、その声が私に次のものを書かせるエネルギーの源となっている。
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最新作 「家族の肖像」のチラシ |
先日も、あるお客様からマネジャー宛に、お葉書を頂いた。
前略
[家族の肖像]タイトルやご案内の様子から
真面目な作品と覚悟してまいりましたが、
最近見た舞台で、最高のプロの作品で、
思った以上に「本当に真面目な作品」で、
とてもよい思いをさせていただきました。
徳田さんは嫌がるかも分かりませんが、
芸祭に出品して審査員をためしたいと
思いました。さりげないセリフの連続に
見せかけるすごさは一級品ですね。
今度、女の子に
「秘密は墓場にまで持っていくもんだ」
と云(い)ってやろうと思いますが、
わかる女性が身近にいるかなあ……
それでは、また明日
草々
わが劇団は関西のどんな演劇団体にも属していない。従って、どんなコンクールにも参加したことがない。何故(なぜ)なら、審査員と称する、カビの生えたドラマトゥルギーに胡座(あぐら)をかいた劇作家や、コケ脅かしの贅沢(ぜいたく)な芝居に振り回されている演劇評論家たちの誉(ほ)めそやす芝居は、私は全く認めないからである。
所詮(しょせん)、いつの世でも、演劇批評家なんて御用評論を書くのに汲々(きゅうきゅう)としているに過ぎない。したがって職業評論家の来ない、マイナーな劇場こそ本物の演劇「現代を映す鏡」の場と考えている。一回一回が勝負で、この公演が終わったら潰れてもいい!<三文役者>がいつのまにかこんなところに来てしまった。<野垂れ死に>の心の準備はいつでも出来ている。
(合掌)
「水晶のような水を透き徹して、三途の河や針の山の景色が、丁度覗き眼鏡を見るように、はっきりと見えるのでございます」
(芥川竜之介作「蜘蛛の糸」より)
(C) The Yomiuri Shimbun Osaka Head Office, 2000.
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