本番の不思議

 先日、マネージャーが私に「立ったり、座ったりしながら芝居が出来ますか?」と聞いてきた。  私は腰の古傷に響くのだ。
 「前に火鉢か机か、手をつくようなものがあればできるよ」と答えた。


剣客商売の台本(自室で)
 数日経って「決まりました」と言って『剣客商売』の台本をわたされた。
 出番は3シーンあった。相手は、古谷一行氏と、主役の藤田まこと氏だ。

 『江戸の用心棒』にでた時、当時中学生だった娘に「一行さんにサインもろてきて」と云(い)われて、なんともプライドを傷つけられた思いをしたことを思い出した。
 「あほ!役者が、役者にサイン貰ってどないすんねん!」

 心の中で、怒鳴ったものである。

 当時、私も若く、闘争心に溢(あふ)れ「スター俳優何するものぞ」の心意気を胸に喧嘩(けんか)腰で撮影所に出かけていった。当時は、一行氏も若く、脇役の私などには「鼻も引っ掛けない」という風情であった。
 藤田氏には「必殺シリーズ」で数えられないくらい斬(き)られ、殺された。やはり、お互いにぎらぎらと生臭く、リハーサルや本番以外では、近づく事すらなかった。
 今日は、どんな扱いを受けるやら・・・と、現場に入ると、一行氏に「お久しぶりです」と頭を下げられた。藤田氏には、「よろしくお願いします」と言われてしまった。ただただ驚くばかりだが、そう、娘も今や三児の母(38歳)。一行氏、藤田氏も還暦の坂を越したはず…。時の流れとともに、人は円熟するものと知った。
 今日はどんな…と、突っ張っていた、私の方が<まだまだ、若い>のかもしない。

 本番。

  『剣客商売』
シーン44 貞岸寺・庭
竹箒(たけぼうき)を持った如空(私)と小兵衛(藤田氏)。
如空「いずれ落ち着いたら知らせると言って、立ったのは、そうじゃの、小半時ほど前かの」
小兵衛「どちらの方角へ」
如空「三ノ輪のほうじゃが」
小兵衛「かたじけない」
小走りに去ってゆく。
 このシーンは、撮影は10分で終わった。


シーン39 貞岸寺・廊下
住職の如空が来る。
如空「よろしいかな」
室内から、「どうぞ」という半之助(古谷氏)の声がある。


シーン40 同・一室
半之助が旅立ちの支度をしている。
如空「どうしてもお発ちになるのか」(座りながら)
半之助「長い間、ご厄介になりました」
如空「長いなどと、そんな……おいでになってから、まだ三月にもなりませぬ。よかったら、もうしばらくおいで頂けないかの」
半之助「お気持ちはかたじけないが、初めに申し上げたように、生来の気まぐれだけはどうにもなりませぬ。和尚どのも堅固にお暮らしください」
如空「やれやれ、やはりとめられぬか。では、仕方がない。(合掌して)そこもともお達者で」
立ち上がって出てゆく。
半之助「あ、しばらく……了念を呼んでくださらんか。ちょっと頼みたいことがあるので」
如空「(うなずいて)了念……了念……」
去ってゆく。


なせばなる(如空)
 これだけのシーンである。ところがが、驚いたことに、障子を開けたら、火鉢も机も何もないのである。慌ててセットの隅っこにいるマネージャーを呼んだ。
 「話が通ってないの?」
 「プロデューサーには云いましたけど……」

 現場には話は通ってなかったのだ。
 仕方なく勇気を出して膝(ひざ)をついたとたん、ひっくり返った。カメラマンも助監督も気を使って
 「どうぞ、徳田さんのやり易いようにやってください」

   監督さんも何も言わない。こうなったら意地で……何度も何度も屈伸運動をし、とにかく「本番」にのぞんだ。すると、まあなんと、自然と座れ、立ち上がれたのである。だが、喜んだのもつかの間、古谷氏がセリフをとちった。気を取り直して2回目も奇跡的にスムーズに出来た。ところが、カメラのトチリがあり、3回目は私のトチリがあって、4回目でやっとOKが出たのである。

 なんと素晴らしいリハビリであったことか。ここ数年間、何かに手をつかないと、座ったり立ったり出来なかったのが、一日にして奇跡的に出来たのである。

 「なせばなる」  箴言(しんげん)を胸に「芝居は気合なのだ!」と、帰途についた。

 しかし、その翌日も翌々日も、足腰が痛く、回復するのに数日を要したのである。

 うーむ、残念。  「火事場の馬鹿力(ばかぢから)」なんて陳腐な言葉が私の脳裏をよぎった。


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