饅頭(まんじゅう)と石ころ

 久しぶりに書き下ろした脚本『家族の肖像』の公演(2002年9月27日〜29日)を控えて、ゲスト出演していただく京都の女優さんから[黒豆入り大福]を頂戴した。美味しそうな大福を見ていると、髣髴(ほうふつ)と目の前に浮かんできた俳優さんがあった。

若山富三郎さん
 若山富三郎氏である。仁侠(にんきょう)映画の親分役などで活躍し、「子連れ狼」シリーズで主人公・拝一刀役でも脚光を浴びた。弟の勝新太郎さんが天才肌と言われ、八方破れの私生活だったのに比べ、実直で、親分肌の人柄で多くの人に慕われていた。これは、そんな若山さんと初めて対面した時のことだ。
 今から34、5年前、太秦の大映撮影所が消える寸前の頃、題名は、確か『賞金稼ぎ』という若山さん主演のマカロニウエスタンのような、無国籍風の「時代劇」テレビ映画があった。
 薄汚れた毛布をガウンのように身にまとった男(若山氏)が、賞金を求めて「悪者」を倒して歩くシリーズだ。撮影現場は、滋賀県の野洲公園の奥に、アメリカのグランドキャニオンを思わせるような、禿(はげ)山と荒野に赤提灯をぼつんと1軒、オープンセットを建ててあった。
 その時代劇に、武者修行の若武者の役で出演した時の話だ。
 出演は主役の若山氏と、東京からきた女優さん(女忍者役)と私、あとは立ち回りの役者さんたちだった。
 冷たい冬の風が吹き荒ぶ中で始まった。最初は女忍者とカラミ(主役の役者さんと立ち回りで=絡む=俳優さん)の役者達の立ち回りであった。私はロケバスから降りて、ガンガンと呼ばれる撮影所で使うストーブ代りのモノのそばで暖を取っていた若山さんに挨拶(あいさつ)した。
 その時、ちょうど立ち回りのテストが始まろうとしていた。
 その方向を見た若山さんが突然、
「待て!」
 オープンセットに大音声が響いた。
 「助監督!こんな石ころがゴロゴロあるとこで動いて女優さんが捻挫(ねんざ)でもしたらどうするつもりだ!石を拾え!それから、テストの時は敷物を敷け!それくらいの神経は使え!」
 カラミの役者さんと、スタッフ全員で石拾いが始まった。そして敷物が敷かれテストが始まった。
しばらくして、殺陣師がカラミの若い役者に
「そこで君トンボ切ってくれる?」
「あの……ボク……トンボ切れないんです」
すると
「ナニ!」
 若山さんが切れた。 その役者のところへ跳んで行っつたかと思うといきなり、ビンタが飛んだ。と思ったら、なんの準備体操も助走もなしに、その場で若山さんの体が宙に浮いた。そして、空中で一回転して、見事な着地であった。40歳を越えた巨体である。
 「こうするんだ。やってみろ!」
 「ありがとうございます。勉強します」
 またビンタが飛んだ
 「勉強しますじゃ遅いんだ。今、ここでやるんだ!出来なけりゃ帰れ!」
 先輩の役者に
 「オイ お前手伝ってやれ」
 それから延々と稽古(けいこ)が始まった。恐怖に役者が泣き出した。若山さんの叱咤(しった)激励が続いた。
 「泣いて飯が食えるか!」
 30分も経つと段々形になってきた。
 「お前 カラミ何年やってんだ?」
 「3年です」
 「馬鹿もん!3年も無駄飯食いやがって」

 「トンボを切る」というのは、芝居の用語で、後ろ向きの宙返りである。主役の殺陣がピタリと決まった瞬間に、カラミが絶妙のタイミングでトンボを切る、一種の様式美の世界だが、テレビの時代劇でもしばしば登場した。本来、若手の端役の俳優がやるのだ。若山さんほどの押しも押されもしない主役が自ら「トンボを切る」というようなことはほとんどない。
 しかし、若山さんは、やって見せた。
 若い頃、歌舞伎の世界に身をおいていた若山さんにとって、難しいことではなかったかもしれない。しかし、すべての筋肉を常日頃から鍛えていないと、急にできる技ではない。

 そこに、若山さんという役者の芝居に対する誠実な姿勢を垣間見た。

 次は、若山氏と私の出番だ。
 場所は「飲み屋の中」。

 セットとライティングの準備が出来上がるまで、しばしの間があった。若山氏がお付の人に目を送った。すると、ポットと「黒豆入り大福」が出てきた。

   「徳田君は辛党ですか?」
 「ハイ」
 「それは羨(うらや)ましい。私は下戸なもので」
 と言いながら、美味しそうに饅頭をほうばったその顔は、無邪気な少年のようであった。
 私は「実は私、饅頭をアテに酒も飲みますので」
 「よかったらどうぞ」
 「いただきます」
 その饅頭の美味しかったこと。
 また、お茶がなんともいえないよい香りであった。

 やがて撮影が飲み屋の中で始まった。
 旅人と若武者はお互いに意識しながら出会い、すれ違うシーンであった。

 監督が「テストお願いします」と言った。

 出て行こうとする若山さん、入る私。
 店のセットの通路がちょっと狭いな、と思った。
 ゆっくりすれ違ったその時、
 「コツン」
 偶然2人の刀の鞘(さや)と鞘がと当たった。

 その瞬間、若山さんが抜刀した。
 私は跳んで逃げた。
 振り返ると若山さんが、ニッコリ笑って私に近づいてきた。
 若山さん「徳田君 いいこと教えてあげようか」
 私「?????」
 若山さん「台本ではここで斬り合いをするとは書いてないけど 武士同士の刀の鞘が触れ合うと言う事は、もう喧嘩(けんか)を売っていることなんだよ。だから鞘が触れた瞬間に抜刀しないと間に合わない……それにしても君 逃げ足速いね」

 その後、若山さんは、小道具の担当者を呼んで
 「ここは、二人がすれ違うにしては、狭すぎる。鞘があたるじゃないか!」
 と、大きな声で叱った。

 侍が刀の鞘を当てるということが、命のやりとりにつながる重大事なのだ。
 役者もまた、その緊張感を持たなくては、芝居のリアリティが失われる。それを身体で教えてもらったのだ。

 その後外に出て、2人の一騎打ちが始まった。10m離れたところから一気に駆け寄り、一刀両断の下に私が斬(き)られて、倒れる。

 撮影は終わった。

 寒い冬の日であったが、帰りのロケバスは熱い思いでいっぱいであった。
 ……。
 今は昔。若山さんをしのぶ、黒豆大福の思い出である。


(C) The Yomiuri Shimbun Osaka Head Office, 2000.