30年来の友人に、井上茂という俳優がいる。「茂ちゃん」「徳さん」と呼び合う仲だ。昭和30年代の時代劇全盛時代に知り合った。以来、こっちが劇団を率いて公演していると必ず見にきてくれる。会えば「徳さんの舞台全部見てるでぇ」とニッコリ笑う。
そんな茂ちゃんがくれた一枚の懐かしい写真がある。
昭和39年、NET(現在のテレビ朝日の前身)で放映されていたテレビ時代劇「六人の隠密(おんみつ)」に出演した時のものだ。主演は、黒川弥太郎さん。
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黒川弥太郎さん(中央の羽織姿)と共演 筆者は前列の頭巾姿(写真提供:徳田興人) |
黒川弥太郎といえば大映で長谷川一夫と並び称される知性派二枚目スターだった。そのドラマにゲスト出演した。黒川さんの向こうを張る大役だ。
旗本の次男坊で、無銭飲食、辻斬(つじぎ)り、かどわかしと悪の限りをつくし、最後に黒川さん演ずる同心に捕らえられる。
台本を読むと、二本差しで街中を闊歩(かっぽ)し、辻斬り、押し込み強盗、と動き回らなければならない。最後の立ち回りのことを考えただけ、足がすくんでしまった。
「なんとかなるわい」
持ち前の舞台度胸を据えて…というか、 もう気持ちは破れかぶれで、カツラをのせてもらい、衣裳(いしょう)を着て現場へ出た。
私の目に、真っ先に飛び込んできたのは凛々(りり)しい黒川さんの姿であった。
そしてこちらが声を出す前に「オハヨウございます」と語尾までキッチリ丁寧に挨拶され、私はただおろおろするだけであった。
当時時代劇のスターは、みんな恐かった。「御大」と呼ばれた片岡知恵蔵さん、近衛十四郎さん…。みんな、若手が近寄れない雰囲気をまとって現場に現れた。「おはようございます」とまず、若手俳優、スタッフがあいさつをする。すると「オッ!」と片手を挙げて答える…それが、スタンダードだ。
スターから、若手に声をかける。それも「オハヨウございます」と語尾までキッチリ。それだけでクラクラしていた。
すると、端正なきりっとしまった顔に笑みを浮かべながら寄ってこられて
「気楽に、気楽に…」
「あ、あ、は、は、はい」(うろたえる私)
「その刀の差し方だと長時間持ちませんよ」
「は、はい」
「ちょっとこう…」
腰骨に当たっていたサヤの部分を少し真ん中に寄せ、ツバを少し立てる。すると、刀がふっと身体にフィットした。軽い。動ける。所作が、ピシっと決まった。
「ありがとうございました」
「はい。では、よろしく」
ドラマの中の二枚目そのままの後姿にただ、最敬礼するしかなかった。
当時はテレビ映画全盛時代で、撮影のスケジュールが立て込んでいた。連日朝8時開始だ。私は一時間半前に撮影所に入ることにしていたが(メイク、衣裳部屋はまだ電気もついていない時)黒川さんの部屋はいつも先に灯りがついていた。そして朝一番の撮影時から、口跡の確かな言葉が澱(よど)みなく飛び出てきた。その上、撮影現場に1回も台本を持ってこられなかった。セリフは完壁に入っていた。
そして、数か月後、事務所(松竹芸能)から呼び出された。
今までに一度も逢ったことのない劇場関係担当のマネージャーが
「12、1月の2か月名古屋の御園座に出てくれまへんか?…ギャラは○○やけど」
「ギャラ…?なんや、そのものの言い方は!俺(おれ)は、金はどうでもええねん、台本を見せてくれ」
「まあそういわんと、悪いようにはせえへんから」
「何で台本見せられへんねん」
「まだ決定稿が出来てへんから」
「本が出来てへんのになんで俺の役があんねん」
台本の内容も言わずにギャラだけいう態度に腹が立っていた。まだ、できていないという台本を、しぶしぶ持ってこさせてみると、2本立公演のうち1本が黒川弥太郎氏主演の任侠(にんきょう)物だった。
「黒川さんとご一緒できるんですね」
少し言葉を改めた。
「はい」
私は黙って引き受けた。
その時の舞台は港のヤクザ同士の抗争が描かれていた。黒川さんは仁義に厚い親分、私はその敵役の親分だった。幕切れは、黒川さんに打ちのめされて、舞台にのびたまま。目をつぶって倒れていると静かに幕が下りる。その時、黒川さんがどうしておられたのか、一向に思い出せない。無我夢中だったのだろう。
黒川さんとは、結局それ以来一度もお目にかからないままになった。