思えば遠くへ来たもんだ

 21歳の春、芝居の世界に身を投じてから、今66歳まで、何度挫折を味わったことであろうか…。「もう、芝居をできないかもしれない」「もう、舞台には戻れない」…そんな思いを何度もした。平成元年の夏には、突如として歩けなくなった。腰が痛くて、動けない。

 この時も「ああ、芝居ともこれで、お別れか!」と覚悟を決めた。

 精密検査をしてくれた関西医大付属病院の医者は、「絶対安静です、あなたの骨は70歳の人の骨です」と診断した。
 「もう、動けませんか?」
 情けない声で聞いて見たら、
 「そんな大層な。痛みが取れたら、少しずつ歩いてください。ゆっくり、少しずつでいいから、歩いてください」
 そして、ニッコリ笑った。

ゴルフ大好き!
 「歩くのか、よし」

 それから徹底的に歩き始めた。
最初は、近所の街をうろうろと歩いてみた…。

 −−う〜ん、なんやつまらんなぁ

 そんな時、ふと、30代のころに、父が倒れ、鉄工所の経営を引き継いでやっていたころ兄が「付き合いゴルフもやらな」 というので、少しやってみたが、その後、クラブを振っているヒマなどなくなったのだ。

−−そや、あれなら歩くぞ。

 打ちっ放しで1か月練習し、そしてコースヘ出た。大阪と京都の中間当たりの淀川河川敷にあるコースで、当事、早朝に行けばハーフコースを2000円で回れた。一人で行くと、順番で4人ずつのメンバーを組み、回ることになる。

 ちょうど、バブルがはじけたころだ。いろいろな人間模様を見た。

 その日も、ライトバンにゴルフ道具を乗せて、コースに出かけた。先客は、3人で、みな同じ会社の人のようだった。50代くらいの男性がリーダー格で、ほかの40代の2人が「社長」と呼んでいる。

 「朝から社員とゴルフかいな、エエ会社やな」と思いながら、コースに出た。
「社長」が、2人に「さあ、今日は思いっきり楽しもう…今日が最後や」
社員1「はい、しかし、今ごろは、会社は大騒ぎでしょうね」
社長 「うん、そやなぁ。倒産するとはだれも思わんからな」
社員2「こんなことしてて、いいのでしょうか?」
社長 「いまさら、どうしようもないこっちゃ。思いっきり楽しんだらええのや」
社員1,2「は…」

 なんとも不思議な会話である。倒産した会社の社長が幹部連れて、「思いっきり」楽しみに「河川敷」でゴルフしているのだ。

 …こっちは黙々と自分のゴルフをするしかなかった。

この先どこまで行くのやら
 こんなこともあった。
 コースに着くと、随分派手なゴルフウエアに身を包んだ男女がやってきた。ゴルフ道具も高そうだ。男は170センチくらいの長身で50代くらい、色黒でいかにも精力の強そうな雰囲気。女性は、40歳くらいで朝からかなり念入りに化粧をして、香水の匂いがプンプンとしている。「シャチョ〜」と鼻にかかった声で呼びかける。ま、夫婦ではなさそうだ…。「ああ、また、社長かいな」と心でつぶやく。

 このころは、週三日は早朝ゴルフをして半年くらい経っていた。それで、ハーフを3−4オーバーくらいで回れるほどの腕前になっていた。ところが、このシャチョ〜というのは下手糞(へたくそ)である。女性の「ナイスショ!」が、ホンマの嫌味に聞こえる。であるのに、女性に教えたがる。「あ〜、腕のフリが悪い」「あ、そこで、腰回して」…おっさん、触るな!

 そのうちに女性が、こっちを頼り始めた。
「とくださ〜ん、バンカーに、はいっちゃんたぁ〜ん」
−−知らんがな。
「とくださ〜ん。どこを狙って打ったらいいのぉ」
−−社長に聞きぃな
「とくださ〜ん」
−−知らんちゅうてるやろ。

 …ついに社長が切れた。
「ワシがいつも、教えたってるやないかぁ!」
「だぁってぇえ、それじゃあ。ぜ〜んぜん、上手にならないんだも〜ん」

 …やっぱり、黙々と自分のゴルフをするしかなかった。

 帰りがけにライトバンに乗り込むと、大きなベンツが目の前を走り去った。窓から、あの女性が手を振っていた。河川敷にはなんとも不似合いなベンツが、だんだん遠ざかった。

 この歳まで、何度挫折を味わったことであろうか……。だが演技のことで行き詰まって芝居がいやになって、止めようと思ったことは一度もない。腰痛の危機も「ゴルフ」が救ってくれた。流れ流れて遠回りしてきたものの、私には「芝居」を続けるという人生の台本が用意されてきたようだ。どこまで歩いていけばいいのか、それは神様という演出家のみが知ることである。


(C) The Yomiuri Shimbun Osaka Head Office, 2000.