忘れられない名優二人

 NHKの朝の連続ドラマ「ほんまもん」の今度の出番。

「最近の料理人はタケノコを器にして、ヒメ皮だけを食べさせるような奴がおる。…そこへいくと木葉さんは、野菜を使い切って料理してはる。…ワシャ、気に入った!」

この「ワシャ」は、台本にない。勢いとリズムで自然に出たのだ。
実は、私は「ほんまもん」の台詞も台本に書いてあるとおりに喋ったことがないのである。


藤山寛美さん
話は30年以上も昔に飛ぶ。

 京都に「日本電波」という撮影所があった。「柔」「明治天皇」、松山容子主演の「琴姫七変化」「霧姫様…」などの人気映画を生んだ撮影所だ。日本映画が「斜陽」となり、その撮影所もなくなるという昭和44年か45年の夏に「青空五人男」というのを撮った。
 所属していた事務所から電話。
「明日午前11時入り、日本電波の亀岡オープンセット、台本は現場で、相手役は”寛美さん”やからよろしく!」
「わかった」

松竹新喜劇の看板役者・藤山寛美さんとの出会いだったが、こちらは30歳台そこそこ。まだ、その舞台を見たこともなかった。

翌日現場に着いて台本を貰った。1シーン3ページ。私は市電の車掌、寛美さんは客である。衣装に着替えてから食事をして、午後1時オープンセットに入った。そこには本物そっくりの市電がレールの上に載っていた。そこで、初めて寛美さんにお会いした。

私「よろしくお願いします」
寛美さん「よろしゅう…いきなりですんまへんけど、台本忘れまひょか、ワシすきなように喋りますさかい、適当に答えてください」
私「はい」

 第1回目テスト。寛美さんが市電に乗り込むと、市電が動き出した。10人ぐらいのスタッフが人力で押すのである。
寛美さん「あ、車掌さん」
私「はい」
そのあと、3ページ分の台本をなんと一回のトチリもなしにいっきに最後までいったのである。適当どころか、きっちり内容を把握されていた。

監督「ありがとうございます。もう一度テストお願いします」
寛美さん「こんな芝居、2回も3回も同じことでけしまへん、どっか気に入りまへんか?」
監督「いえ芝居は結構です」
寛美さん「ほんなら本番いかして」
監督「わかりました、では本番!」

今度は、先ほどのテストとは違う新鮮な言葉がどんどん出てきた。見事なものであった。そして、すぐに本番と聞いた時のスタッフたちのほっとした表情が忘れられない。 芝居は一回限り――。真剣勝負の厳しさと、汗だくのスタッフへの心遣い。これが寛美さんの真髄だったのだ。

寛美さんが最後に、私に一言
「あんさんも、なかなかのモンでんな…おつかれさん」

浪花千栄子さん

◇    ◇    ◇

船場言葉をきっちり話せる最後の人と言われた大喜劇俳優、浪花千栄子さんと初めて「共演」した時の思い出も強烈だ。

30数年前、NHK大阪放送局で、祇園のお茶屋の娘がスカウトされテレビドラマに出演し、アシスタンディレクターと恋に落ちるというドラマが制作されていた。

その1シーン
<お茶屋の二階>
お茶屋の娘(高田美和)女将(月丘夢路)を目の前にディレクター役の私が劇中のドラマのストーリーを語っている。ほかにアシスタントディレクター(三上真一郎)、プロデユーサー(川合伸旺)。そこへ浪花千栄子さんの大女将…。

「まあまあ遠いところを、ようお越しやしておくれやす、それも立派な男はんが3人も、アハハハハ」
そして我々のセリフが少し…。
大女将「すんまへん、話しの腰をおってしもうて、どうぞ続けやしておくれやす」

テストが終ってすぐ、演出のTM氏が私に
「徳さん。気がついてる?」
「何にですか?」
「大女将が入って来るまで、ちゃんとした標準語なのに、大女将の喋ったあとの君の台詞はベタベタの関西弁だよ」
「ええ?ほんまですか?」
「ホンマも何もケッサクだよ」
「……」

何度リハーサルをしても、本番が始まっても同じことを繰り返すのみであった。笑った般若の面のような、慈愛あふれる観音様のような、あの笑顔。こちらの目の奥に突き刺さるようなまん丸な瞳。もう抵抗するすべはなかったのだ。
 幸か不幸かこの作品は放送されなかった。


さて、早いもので、先日、「ほんまもん」の打ち上げがあった。私は脚本家に謝っておいた。
「いつも勝手に台詞を変えてすみません」
「いえ、そんな…」

ふと、あの声が聞こえた。

「あんさんも、なかなかのモンでんな…おつかれさん」





*徳田興人さんは、朝のNHKドラマ「ほんまもん」に出演しています。
次回出演日  平成14年2月11日(月・祝)
放 送  8時15分〜8時30分
再放送 12時45分〜13時00分


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