歳と歯・・・・・
『ほんまもん』もいよいよ終盤に近づいてきた。
私の役【小野寺】の年齢は80歳である。実年齢から一回り以上老けなくてはいけない。年齢によって人間の顔はどう変わるのか。舞台のメイキャップならいろいろ作りようはある。だがテレビの映像となると、できる限りナチュラルに自然に老けなければならない。その人間の内面から蓼(にじ)み出る人格はともかくとして、老いが一番現れるのは口元であり、皮膚(シミ、皺=しわ)である。幸い私の歯は、上は総入れ歯である。早速歯を取り、喋(しゃべ)ってみた。喋りはまったく支障はない。我ながら年老いたおじいちやんの雰囲気があり、なかなかチャーミングな顔になる。
そう思って、リハーサルは歯なしで通してみた、絶好調である。
だが一つ問題が出てきた。役どころは物を食べるシーンがほとんどなのだ。
「入れ歯無しで食べられるだろうか?」
まず豆腐を食べてみた、これは難無く咽喉(のど)を通ってくれた。
次はハマチの刺身に挑戦してみた。
…噛(か)んでも噛んでもちぎれない、そのまま飲み込もうと思っても舌が思うように動かない。…危うく窒息するところだった。
閑話休題。
先日、中学の同級生0氏から「同窓会の会長をやらされてしもうたから助けてくれ」と電話があり、出かけて行ったら、そこは、なんと「お年寄り」の集まりだった。
同じ歳でありながら、半分腰が曲がって皺だらけのご老体があの「同級生」なのか?無表情にぼんやり座っているように見えるのは…誰や?
誰も彼も、入れ替わり立ち代り寄ってきては「名前覚えてる?」と聞く。
玉手箱のふたを開けてしまった浦島太郎が集団で宴会をしているようだ。
ちょっとショックだった。かなり恐かった。
もちろん、さりげなくオシャレをして若々しく「現役」をアピールしてるヤツもいるし、顔一杯に愛想笑いをふり撒(ま)いて、人々の間を駆けずり回っている男も…いることにはいたが…。
そこへ矍鑠(かくしゃく)とした足取りの女性が現れた。
…50年前、教室に入ってこられると、そこはかとなくお香の薫(かおり)を漂わせておられた国語の先生だ。今は、ひたすら「源氏物語」を朗読をさせられたことしか記憶にないのだが、確か、81歳になっておられるはず。
視線が合った。
「徳田みのるクンやね」
微笑まれた表情に、若々しいエネルギーが感じられた。
目頭が熱くなって言葉が出なかった。
もうこの歳になってくれば外見の70才も80才もあまり差はない。要はその人間の生きてきた歴史の重みで顔はどのようにでも変化するようである。
で、『ほんまもん』。
もし入れ歯を外して芝居をすれば、私は大変な失敗をするところであった。一晩入れ歯を外して食べる練習をしただけで、翌朝、顎(あご)の蝶番(ちょうつがい)が痛くて痛くて、舌は噛むし口の内側の壁は噛むし、喋ることさえ困難になっていた。
歯医者さんに言わせれば、歯は脳細胞にさえ影響を与えるそうである。くわばら、くわばら…。
出番の日の料理は「筍(たけのこ)の姿煮」であった。50年の歳月を経た恩師との再会が「役作り」にどんな霊感を与えたか、ぜひ、ブラウン管の「小野寺」を見て頂きたいと思っている。
<内緒の話 実は、筍は入れ歯をしていても噛めなかった>
(C) The Yomiuri Shimbun Osaka Head Office, 2000.
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