神は我を見放さず…
10月31日から11月4日まで「汚れた時間の見る夢は」の公演で倉敷に乗り込んだ。わが劇団のジョーカー・スタッフ(照明・音響・舞台監督と何でもこなせる男)岡山出身の野田幸夫君の第一回プロデュース公演である。作品は再演ものだから舞台装置はもちろんストックしてあった。だのに野田君は何を思ったか新しいセットを装置家・丸田道夫氏にオーダーしたのである。
私と丸田氏との出会いは44年前。劇団四季に入って道具作りばかりしていた時期にほんの半年ばかり一緒に仕事をしただけである。しかし、そのときの印象が忘れられず、探し探して・‥‥、30年ぶりに再会して以来わが劇団の公演の装置をしてもらって10数年になる。
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計画した舞台装置 |
今や彼は「演劇集団・円」をはじめヨーロッパを飛び回っている高名な装置家である。だが彼はいつもゆったりと時間に追われることなく、大河のように生きている。67歳で1メートル80近い痩身(そうしん)の背を少し丸めて、もの静かに、笑みを浮かべて倉敷に現れた。
初演の装置とはおよそかけ離れた道具帖を見せられたときは驚いた。まず一日で作れるものではない、公演の前日、野田君の実家である玉野市の山の中腹の野田木工所についたのは午後1時である。
ところが、野田幸夫君がいなくなった。注文した装置は、3尺×11尺5寸(約90センチ×3.5メートル)を2枚、4尺×11尺5寸(1.2メートル×3.5メートル)を2枚、計4枚の張物を作るのである。それもベニヤを打ったあと新聞紙を張りその上に絵を描くのである。
おいおい、こりゃあ、どう考えても半日では無理だ。
野田! あいつ恐れをなした! どこへ行った! …怒鳴りたくなった時、目の前にいたのが野田幸夫氏の父上だ。「こりゃ、怒鳴れん」と心でつぶやいたとき、父上が静かに笑った。
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左から野田君の父上、丸田道夫氏、稲健二 |
「私が作ります」
作業が始まった。
まさに神業であった、すばらしい手際で、まるで手品のような早業で、あっという間に 4枚の張物が出来た。
すごい!
すると、今度は丸田氏の神業が始まった。
「糊(のり)?」
「ないぞ!どうする?」
「メリケン粉!水!鍋!電気コンロ!揃えて!早く!」
「?????」
直径26センチの鍋にメリケン粉と水を入れおもむろに電気コンロの上にかけた。
やがて、くずきりのように美味しそうな透明なのりが出来たかと思うと、思いっきり薄くして、新聞紙を張り、扇風機で乾かし、夕食前に丸田氏の筆が走り出した。
そして稲健二が丸田氏の筆の後を埋めていった。
私はただ唖然として見守るだけである。
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出来上がりセット |
乾き始めると、ホッチキスの親玉みたいなもので楽しいコラージュ貼りが始まった。それまで必死になって色を塗っていた稲健二の顔がはころび始めた。
野田君の父上も丸田氏も時間を忘れて遊んでいる子供のように、世間話をし、冗談を云いながら・・・・・。
午後9時。仕事は終わった。私はもうくたくたで、風呂に入る元気もなく、一杯お酒をよばれると泥のように寝てしまった。
明くる朝、美味しい山の空気と縁側に差し込む日の光に包まれ、つやつやの新米とこんがり焼けた鮭とやわらかい卵焼きとワカメと豆腐の味噌汁をいただきながら、私は昨日の68歳の野田君の父上と67歳丸田道夫氏の、合わせて135歳の道具作りの手つきを思い出していた。至福の時間であった。
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*徳田興人さんは、朝のNHKドラマ「ほんまもん」に出演しています。 |
次回出演日 | 平成13年11月17日(土) |
放 送 | 8時15分〜8時30分 |
再放送 | 12時45分〜13時00分 |
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(C) The Yomiuri Shimbun Osaka Head Office, 2000.
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