ご馳走は食べ物だけにあらず
『ほんまもん』に出演2回目の収録が始まった。NHK新社屋での初めての収録だ。何もかも新しいものとの出会いに子供のようなはしゃいだ思いで局へ入った。
なによりも嬉(うれ)しかったのは障害者用のトイレがあったことだ。年を取ると人には言えない不自由なことが起きてくる。役者に優しい配慮がなされている。化粧前、出番待ちの休憩所。そしてなによりも素晴らしいのは食堂であった。15階にある食堂から眺める景色は180度の大パノラマである。
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この景色が夜景になって、 ロックのグラス傾けて・・・ |
眼下に箱庭のような大阪城公園があり、その真ん中に大阪城が鎮座ましまして、周囲は高層ビルのビジネス街。
延々と広がる河内平野の先に、遥(はる)か遠い山並み、左から楠木正行の墓(大楠公・楠木正成の子)のある飯盛山、「お染め久松」の野崎の観音さん、デンボ(デキモノ)の神さんの石切神社、瓢箪山と連なる生駒連山が秋空に映えて、どんなご馳走よりも贅沢(ぜいたく)なものであった。
さて今日のドラマの収録は、主人公「木葉」の父が経営している料理屋の味が最近落ちたという評判を聞いて、客たちが心配してやって来るというシーンである。料理は「鱧(八モ)づくし」。
テレビの料理番組で料理されたものは見たことはあっても、魚の姿は見たこともないし、食べたこともなかった。取り合えず黒門市場へ行って現物の鱧を拝みに行った。鰻を大きくしたような、なんともグロテスクな生き物であった。
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黒門で初めて拝む鱧の顔 |
さて収録のシーンはというと、
−−店主のアップ
「寄せ鱧清汁仕立てでございます」。
−−客の手元。アップ。
−−漆塗りのお椀を開ける手。
−−おすましの真中に真っ白な鱧の身。何とも上品な香りが漂う。
−−その鱧がゆっくり客の口にはこばれるカット。
−−不安な店主の顔のアップ。
−−無表情に味わっている客の顔。
・・・・・
実際には鱧は私の口の中で心地よくとけて、小骨の1本も舌に触ることもなかった。 次は「鱧のゴマだれ焼き」。一口大の鱧の上に胡麻だれが塗ってあり、客の前で備長炭で炙(あぶ)られて出てきた。ゴマの香りがこうばしくて美味かったが、あまりにも炭火が熱くて、カメラさんが困りきっていた。
こう書いてしまえば、短時間で撮影が終わったように思われるかも知れないが、実際には店側の従業員(主人公・父母・板前・仲居2人)一人一人の動き、リアクションをワン・シーンの中に入れ込むには、ほぼ1日はかかる。
そして、私の楽しみは15階の食堂。
昼食時、窓辺に座って外の景色を眺めながら、カレーライスを食べた時は最高の幸せであった。いやいやまだ楽しいことが待っていた。その食堂の隣の喫茶店が夕方5時からレストランバーに変身するのである。天下のNHKの中で堂々とビ−ルが飲めるとは夢にも思わなかった。仕事を終え、夜景を眺めながらのウイスキーのオンザロックを傾ける己の姿を想像しただけで・・・・・・。
次の仕事を楽しみに思うのは私だけだろうか‥‥・。
(C) The Yomiuri Shimbun Osaka Head Office, 2000.
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