カラスの親子(師弟?)

左半身不随の70才近い男 「俺はもうアカン 今度パクられたら娑婆で死なれへん」
あどけなさが残る少年 「オジイチャンは生きとってくれたらええ。おねえちゃんと僕がみんなをまとめていくから」
ジジイ 「箱(電車)の中の仕事は女に任せよ。おまえはブキッチョやから手を出すなよ」
少年 「分かってる」‥‥・

アーメンのお雪
 昭和55年暮れも押し迫った夜10時頃、真っ黒い服装に身を包んで、梅田・曽根崎署の前からわがタクシーに乗り込んできた二人組の客は「スリ」の親子(師弟?)であった。私の胸は早鐘のように打っていたが、耳は2人の会話を聞き逃すまいとダンボの耳になっていた。大国町に着くまでの時間の短かったの、長かったのといったらなかった。

 年明けて昭和56年早々、新聞の片隅にこんな記事を見つけた「金持ちからしか拘(す)らない心やさしい女スリ逮捕!」

 昭和30年代、フランス映画でロベール・オッセン主役の『スリ』が頭をよぎった。地下鉄の中で新聞を使って、黒ずくめの衣装のロベール・オッセンが何とも芸術的で、拘られる人間が全く気がつかないスマ−トな"手付き"であった。

 劇団としてはもう次の劇場と公演日は決まっており、待ったナシであった。私の中ではどんどんイメージが膨らみ物語が出来上がっていった。

 観客がどんどん増えていくことで、対外的には期待され、稽古場には毎日のように、TV局のディレクターや新聞記者たちが、入れ替わり立ち替わり出入りするようになっていた。「深夜の番組でコント集のようなものをやりませんか」とか「ぼちぼち、テレビ出演させませんか」とか。役者の尻が落ち着かなくなった。


アーメンのお雪を追う刑事
 そんな中で、ロベール・オッセンに代わって「世に警鐘を打ち鳴らしたオルレアンの少女、ジャンヌ・ダルクのような女スリ'アーメンのお雪'」さんが生まれた。

 この作品で私は初めて創作というものの楽しみと苦しみを味わうことになった。思えば贋作『タクシードライバー』は実体験に載せたもの、『タワーリング・インフェルノ』は、消防士の話ではあるが、戯曲作家・岸田国士の『紙風船』をパロディ化した部分があった。

 正に『スリ』は七転八倒の闘いであった。そのかいあって公演は大入り、大好評であった。その勢いで東京公演をするつもりであったが、劇団員の中に不穏な空気が漂っていた。

 私は彼らを全国区の役者にしてやりたかった。しかし、役者たちは地方区のお笑い路線を目指していた。劇団『男と女』は崩壊寸前であった。


(C) The Yomiuri Shimbun Osaka Head Office, 2000.