アイコン怒りは創作のエネルギーだ

「贋作 タワーリングインフェルノ」東京進出のポスター
「贋作 タワーリングインフェルノ」東京進出のポスター
 二匹目のドジョウ、贋作『タワーリングインフェルノ』は、まさに怒りに充ち充ちて書いた作品だ。消防士たちの内部告発で、如何にも自分たちが正しくて、消防署長が極悪人の如く語るのを聞いて、署長に怒りを感じたのではなく、若い消防士に腹が立ってきた。

 その上、新入団の大学生達の、芝居をやりたいという目に輝きがない!

 こちらは月水金と一日18時間ハンドルを握り、椎間板(ついかんばん)ヘルニアの再発を騙(だま)し騙し、くたくたになった身体を引きずって、火木土日と芝居の稽古をしている時に、彼らは遊び半分の顔で稽古場(けいこば)へ出てくる。

 怒りを持って私は奴等を徹底的にしごきまくった。演劇の歴史から、何故、今、演劇は必要なのか?役者の果たす役割は?

1.役者は 精神的娼婦である。
2.スポーツマンであり、詩人である。
3.役者は 変身するものではない。
      自己という袋小路の中で
      さまよい のたうちまわり
      新しい己と出会うことなのだ。
4.本物のプロフェッショナルは 永遠の素人である。
  即ち 初心を忘れないことである。
  〜 これらすべてを 日々遊び戯れる心で生きること 〜

 この言葉をテキストの1ページめに記し、府立大学の大講堂で、連日徹底的に基礎を叩(たた)きこんだ。2か月を過ぎたあたりから、学生たちの目の色が変わってきた。しかし、43才の私の体は極限状況に近付いていた。私の自宅は大阪の北、枚方市である。府立大は大阪の南、堺市中百舌鳥である。

公演を知らせるジァン・ジァンのスケジュール表
(画像をクリックすると、赤枠部分が拡大されます)
 夜、稽古が終わってみんなを送って家に帰り着くのは夜中の1時頃。そして、朝6時に起き6時半には出勤である。会社に7時半に到着し車を点検、8時に朝礼が済むとすぐ街に飛び出して行く。翌朝の3時まで走って、入庫して納金を済ませ、洗車してやっと仕事から解放され風呂に入り、仮眠室でベットに横たわると同時に夢の世界である。時刻は午前5時をまわっている。9時に起きて、わが家へ――

 阪急電鉄十三駅にある会社から枚方まで。帰ってから一杯飲んで遅い朝食をとって眠りに着いた頃、息子が幼稚園から帰ってくる、それも5、6人の友達を連れて。そして寝ている私の上にダイビングである。もう寝ていられない、午後4時に家を出なければ中百舌鳥の稽古場へは着けない。

 しかし、肉体のしんどさに反比例して、どんどん稽古は面白くなる。悪意に充ちて楽しく、華やかで、パワフルで・・・これはいけると自信を持って幕を開けたら、大入り、大好評であった。心斎橋の「南海ホール」(のちの「二丁目劇場」)のこけら落しに声がかかり、その勢いで若い演劇人の甲子園と云われた『小劇場』東京渋谷・ジァンジァンへ進出することになったのである。

 それから20数年東京へ通い続けるとは夢にも思わなかった。


(C) The Yomiuri Shimbun Osaka Head Office, 2000.