神様のいたずら
昭和49年11月2日、私はタクシーの運転手になった。初めてのお客さんは、20歳くらいの可愛(かわい)い娘さんで、梅田から淀屋橋までだった。私は、どんな運転をして何を云(い)ったか、憶(おぼ)えていない。しかし、きっちり娘さんに見破られていた。
それにしても運転手仲間にはかなり行儀の悪い連中もいてびっくりした。朝3時頃、ドロドロに疲れて、入庫して入金する時の日報を白紙で出す人間、1日中競馬場でヘタッテいるためにまるっきりデタラメを書いてバレた奴。バレて謝ると思ったら、逆うらみして暴れ出したのには、もう一度びっくりした。そんな連中ばかりではないが何か人生にけつまずき流れてきた人間が多いなぁというのが実感だった。 しかし客の方も色々だ。バリッとスーツを着たサラリーマン風の人でも、こちらが「おはようございます どちらまでですか?」と云って「おはよう △△町まで」という人は10人のうちに3人だ。だいたいが「まっすぐ……」で終わりだ。「どこまでまっすぐ行きますねん!」という言葉を何度飲み込んだことか。夜の、酔っ払いが出没する時間帯になると、もっとひどくなる。 私は将棋・野球・ゴルフの同好会をつくり、こんな職場のすさんだ空気をなんとか入れ代えることに努めた。やっと会社全体のムードが変わり始めた時は1年半が過ぎていた。
グヮーンという轟音(ごうおん)と共にすべてが解(わか)らなくなった。しばらくして、後ろの座席から微かに……「運転手さん――早く――救急車――早く救急車、救急車」 私は朦朧(もうろう)とした意識の中で、無線機をつかみ「大事故発生――大事故発生」と息も絶え絶えに何度も叫んだ。 その時、車の外で、「車の中で人が死んでるかもわかれへんのにポリ公何してんのんじゃ! 早よ助けたらんかぇ! そんな小僧追いかけんのん あと回しにせんかぇ!」と叫ぶ声が聞こえた。
この小僧こそ、神様の手先であった―。
(C) The Yomiuri Shimbun Osaka Head Office, 2000.
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