人生何が起こるか分からない
昭和39年から47年(小生29歳から37歳)までは本当にテレビの仕事が忙しく、舞台からの誘いもあって、大阪へ帰ってきてサイコロの目が「吉」と出たのかなと思った。
苦しい、ほんとうに苦しい拷問のような稽古(けいこ)だった。毎日のように稽古場が変わる。演出からのダメ出しは皆無で、初日がどんどん迫ってくる恐怖感。以前、劇団四季で味わったような緊迫した稽古場の密度がどこにも感じられないもどかしさ。集中力の欠如。今思ってもぞっとするような時間であった。しかし本番は信じられないほど集中でき、芝居のミューズ(女神)が天から降りて来ると云(い)うのはこういうことなのかと、初めて味わったような気がした。 続いて青猫座から”なにわ芸術祭”矢代静一作「夜明けに消えた」(演出=辻正雄・[サンケイホール])の話があり、出演させていただいた。だが、出演者金田龍之介(東京から)をはじめ大勢の役者のスケジュール調整が大変で、稽古の時間の少なかったことといったら、信じられないほどであった。しかし一応相当に仕事をこなしている役者が集められたので、無事公演は成功のうちに終わった。何故(なぜ)なら作者・矢代静一が東京から駆けつけ、大喜びで帰ったからである。
舞台に、テレビに、その忙しい真っ最中、37年の暮れも押し迫った12月30日の深夜、電話の音で目が覚めた。鉄工所の親会社の課長さんが囁(ささや)くような声で「ミノル(本名)くん 冷静に聞いてくれよ 君の兄貴の奥さんから電話がかかってきて 兄貴が会社の売り上げ金全部持ってドロンしたそうや」 「従業員の給料は?」 「それも払わんと・・・そこでや 君のお母さんに相談したら 君には迷惑ばっかり掛けてるから恥ずかしいて もうよう頼まんいいはってな〜あんたから話して下さい云われたんで 電話したんやけど・・・もういっぺんだけ助けたってくれへんか? 今 君とこの製品がストップしてしもたら わが社は年明け早々から組み立てのベルトコンベアがストップや 早急によその下請けに発注しても間に合えへんし それだけの技術のある工場もおいそれと見つかれへん 差し当たっての・・・君とこの従業員の給料も立て替えるし 諸々の支払いもわが社で何とかする・・・せやけど今度はあんたには・・・役者は辞めてもらわなあかんわな 従業員とその家族約50人全員の生活がかかってるからな 片手間で出来る仕事やないということはわかってるわな」 「・・・・・・」 「もう青春は十分謳歌(おうか)したやろ これからは人の為に生きたらどうや?」 この電話が私の一生を変えたのである。
(C) The Yomiuri Shimbun Osaka Head Office, 2000.
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