悔しくも、なんとも哀しい・・・・・
徳川家康の知遇を受け、内外の政務に参画し、大奥を創設した人物ということである。セリフもたっぷりとある、それも主演の栗原小巻との会話である。 衣装がまたキンキラキンでその重たいことといったら、よく昔の人はこんなものを着て立ち居振る舞いが出来たものと驚くほどである。 しかし、その衣装の重さが気にならないほど緊張感の中で心地よい時間を過ごすことが出来た。第一話は5分の1が大奥が出来るまでの話だからかなりの出番であった。 一日目はセットで正座しっぱなしでしゃべり、二日目はその重い衣装を引きずってロケバスに乗って素晴らしい枯れ山水の庭のあるお寺で、三日目はまたセットであった。 久しぶりに芝居らしい芝居が出来たので放映を楽しみにしていた。いよいよその放送の日。各紙朝刊には特別に囲い記事で写真とストーリーが紹介され、大奥が出来る経緯と出演者、春日局・栗原小巻、天海・徳田興人と名前まで書いてあった。
放送が始まった瞬間、おかしい?って思った。大奥が出来上がった後から物語は始まっていた。最後まで影も形も出てこなかった。終わりにキャストのテロップが流れた。そこにははっきりと天海=徳田興人と書いてあった。放送が終わるとあっちこっちから電話がかかってきたが何と云っていいか分からなかった。 数日後、「大岡越前」の撮影で東映へ行った。そこに「大奥」の時と同じ監督(故人)がいた。私の顔を見るなり最敬礼をされた。 監督曰く「第一回目ということで入れ込んで撮っていくうちに尺を回し過ぎて、仕方なく…ごめんね…」 もう一つ、撮影はしたが姿が見えないものがあった。たしか『遠山の金さん』であったと思う。役は牢名主である。私は畳を十枚ほど重ねた上にあぐらをかいで酒を飲んでいる。そこへ新入り(ゲストの主人公)が入って来て私の前に突き出される。 私の役の設定は、その畳の上から一言二言脅しつけて酒をぐっと飲みほして横になり鼾(いびき)をかいて寝ることになっていた。カメラは真正面にこっちを向いている。 主役は私の座っている畳のずっと下の方である。監督が「徳さん、喋り終わったら口から溢れるぐらい酒を飲んで寝て、鼾だけはカットがかかるまで、切れんように続けて…たのんます」 気がついたらスタッフはだれもおらずセットの照明は消えていた。ほんとうに寝てしまったのだ。放送を見ると畳の八枚目ぐらいまでしか映っていなかった。わずかに確認出来たのは、私の怒鳴る声と主役のセリフのBGM(?)に聞こえた鼾だけだった。
(C) The Yomiuri Shimbun Osaka Head Office, 2000.
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