役者は歯が命
上はばらばらにグラグラの歯が4本しか残っていない、それもブリッジでかろうじて間を埋められて、柔らかい物が噛(か)める程度である。少し固い物を噛むと激痛が走り、いくら磨いても汚れがとれない、その上ブリッジの金属が弛(ゆる)んで来て長セリフが喋(しゃべ)りにくい、だが歯の治療ほど怖いものはない。 しかし背に腹はかえられない、思い切って歯医者に相談に行った。 医者は事もなげに「この4本の歯は寿命です、すぐ抜きましょ、簡単簡単1週間に1本ずつ抜いて1か月で完了…それで2種類の総入れ歯を造ってあげる」 「1つで結構です」 「なに言うてんのよ、あんた役者さんやろ、ほんなら偉い人と金持ち用と、貧乏人と年寄り用と2種類要るやろ」 「…まぁ、それは」 「心配せんでもええ、サービスや」
1996年8月仕事を一切ストップした。1か月で嘘(うそ)のように簡単に4本の歯が抜かれた。歯茎が元の状態に戻り、型をとって、総入れ歯ができ、何度も微調整し、舌の動きに違和感がとれ、完成したのが12月であった。その間にひとり芝居『一人(いちにん)の侍』の原稿を書きあげた。
だがどうしても「ひとり芝居」は好きになれなかった。客入れが始まって、芝居の幕が開く前の30分間、楽屋でひとり、ぽつねんと、セリフを繰っている己を想像しただけでゾッとする。本来小生は、大勢の若い役者たちが嬉々として芝居をしている姿を見るのが好きなのである。 結果、自分が30分ひとりで喋り、若者たちに30分芝居させ、残り20分をまたひとり芝居にした。東京に着くと、劇場側から「ひとり芝居で劇団員全員連れて来たんですか……ああそうか、要するに徳田さんは寂しがり屋なんだ」 まさしくその通りなのである。 現在総入れ歯は、舌の回り具合もよく、すこぶる順調である。歯医者さんの仰せの通りTVや映画出演の折は、悪の大金持ちをやる時は美しい総入れ歯、薄汚い飲み屋の親父をやる時は前歯3本抜いた総入れ歯、よぼよぼの爺さんやる時は歯なし、歯茎だけである。
この12月15(金)、16(土)、17(日)の3日間。大阪・千日前のトリイホールで、わが劇団スタジオ・鏡第82回公演『スリ2000』を上演いたします。その時の小生は、脳溢血で倒れ車椅子で登場するヨレヨレのスリの親分。”歯なしのよだれ食い”です。
(C) The Yomiuri Shimbun Osaka Head Office, 2000.
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