戦争の拾いもの

『地を這う虫』の扮装姿
 先日、NHKのTVドラマ[地を這う虫](高村薫原作、奥田瑛ニ主演)のロケ先(北摂霊園)へ向かう車の中で――。

 「今度のお坊さん、ひょっとしたらお経読まされるかもしれませんねん いけます?」とマネージャー。

 「宗派は?」 「分かりません」 「まあ、日蓮宗やったらいけるで」 「お家が日蓮宗ですか?」 「違うよ」 「どこで習いはったんですか?」 「話せば長い物語……」 「現場までたっぷり時間はありますから」――。

  「小学3年生 昭和19年9月18日 集団疎開へ行ったんや」 「9歳で! 何処へ?」

 「福井県南条郡武生町 今の武生市の日蓮宗本興寺。行ってひと月ほどして夕食のあと 寮母さんに御前様の部屋に行くように言われて 怖々行ったんや。

怖い御前様の目と、ひもじい寺の生活を思いだす、仏像です
 そしたら今東光みたいな御前様と飯田蝶子みたいな奥様が並んで座ってはって 担任の先生が『実は こちらのお寺様が 君をぜひ子供として欲しい もちろん学校は京都の大学まで行かして下さるそうやし 君にとってもこんな大きなお寺の跡取りに……』

 すると側から奥様が『今すぐ決めなくていいのよ とりあえず毎晩30分ほどお経を読む稽古をしてあなたがやりたいと思ったら…・・』 思う間もあれへん 次の日の晩ごはんの時に先生にジロっと睨まれて―― 。

 それから毎晩 目の前に果物とお菓子がいっぱい積んである奥座敷の長机の前に ちょこなんと座って黄色い塗り箸持たされて―― ミョウホウレンゲキョウ ホウベンボンダイ ニジセイソン ジュウサマイ アンジョウニキ ゴウシャリホツ ショウブウチエ ジンジンムリョ……。

 終わって自分の部屋へ帰ったら みんな腹空かして寝んと待っとって 餓鬼のように食いもんに飛びついてきよる そうなったら毎晩稽古せなしゃあない 子供や お経覚えるのが早い 三月もしたら可愛い衣着せられて 御前様のケツについて檀家まわりや お供物や小さなポチ袋に入ったお布施もろて来て みんなにバラ撒いてるうちに 己が栄養失調で倒れてしもた アハハハ」 「その時のお経を50年経ってもまだ覚えてはるんですか?」 「そうなんよ」 現場に着いた。

戦争勃発の翌年、昭和17年4月小生一年生の姿と台本
 衣裳の法衣に着替えて墓石の前に立つと、髭面(ひげづら)の無愛想な40歳そこそこの大男が近付いてきた。台本を開いて「このセリフの前にお経を読んでもらえますか?」

 「どんなお経を?」 「いや……」 「宗派は? 何か経本はありますか?」 「いえ 適当にちょっとなんかやっていただけませんか?」

 カチンと頭に来たが、おもむろに懐から経本を取り出し、妙法蓮華経方便品、第二の終わり頃から読み出した。

  ――如是相。如是性。如是體。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究意等。を朗々と唸ると、「ハイ! それで結構です」 如何にも、それぐらいのお経は出来て当然といったような顔してディレクターは遠ざかっていった。


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