ピーカンの 虹立つ原に 果たし合い
工藤監督は、役者はもとよりスタッフに絶大な人気があった。その撮り方の斬新さ、ええっ! そんな撮り方あり? とくに助監督は楽しいらしく、「監督が工藤さんやったら 何をさしおいても……」という裏方が東映にも松竹京都映画にもごろごろしている。 工藤監督といえば雨である。どんな作品にも必ず雨が降る。『必殺シリーズ』もなぜか、雨が降っていた。 映画『野獣刑事』に出演したわが劇団の女優のレイプシーンは壮絶であった。どしゃ降りの雨の中、ドロの水たまり中でのたうち回るのである。もう役者の神経は集中を通り越して、とうに中空をさ迷っている。素晴らしいシーンができるのは当然だ。 まだある。工藤監督といえば、そのカット割りとカメラアングルの妙だ。監督にどうしても、もう一度会いたいと思ったのは『町奉行日記』のことだ。 渡辺謙演ずる世直し奉行が、江戸から殿様のお墨付きを持って国おもてへ帰って来て、国家老を一堂に集めて詮議(せんぎ)をするシーンである。 部屋のどこを見てもカメラがないのである。何もない大広間に国家老3人が居並んでいるところへ主役の渡辺謙がつかつかと入って来て、我々の前を行ったり来たりしながらまくしたてるのである。 その時はカメラがどこにあるのか気にならなかった。ところが自分のセリフの番になって、どうも気持ちが落ち着かない……最初、主役を見てしゃべる。が、途中で主役が立ち上がり、私のセリフを聞きながら前を通り過ぎていく、その背中に向けてセリフを言うのだが、主役が私の前を3歩ほど過ぎた時、左前方でチラッと動くものがある。 そのとたんに、私の頭の中は、真っ白になる。何回テストをやっても言葉が出てこない。そこで監督が「ちょっと休憩しようか」といった。痺れた足を引きずって、私は動く正体を確かめに行った。
「ヨーイ、スタート!」主役が立ち上がって私の前を通り過ぎていく、カメラはレールの上をゆっくり移動し主役を追う、最後の格子の間にレンズが止って、私の姿をとらえる寸法になっていたのだ。 ――なんてことをするのか、役者は集中した目線の先に、正体不明の動く物体をとらえた時、集中が切れるのだ――。
(C) The Yomiuri Shimbun Osaka Head Office, 2000.
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