斬(き)られ役のセリフは切られっぱなし

暴れん坊将軍の悪坊主
 さて、一匹狼の役者が食っていくには、まず悪(ワル)が演(や)れないと仕事がない。悪といっても大悪(家老、両替商)・中悪(ヤクザの親分、用心棒)・小悪(チンピラ)とピンからキリまである。

 まず大悪にならないと生計が成り立たない。そこまでいくのに何十年とかかる。気が付くと、頭も身体も老いぼれて思うようには動かない。後戻りは不可能である。

 先日もテレビの『暴れん坊将軍』で、われわれ悪役が唯一芝居らしい芝居のできるシーン、小生演ずる悪坊主の寺で悪の家老と両替商が雁首(がんくび)並べて談合をしているシーンでのことである。

 前日、監督に一発かまされた。「1シーン(2ページ)をワンカットで撮りますからセリフをしっかり覚えておいて下さい、よろしく!」

 翌朝一番手、とっくに還暦を過ぎた3人の悪役が神妙な顔でセット入りして驚いた。ニ間をぶち抜いてレールが敷いてあり、その上にカメラが乗っかっているではないか!

東映京都撮影所の玄関
 しかし、そこは百戦錬磨の兵(つわもの)の3人、1回で本番OK! ――と思ったら、カメラさんが「ごめん、録音のマイクがフレームに入ってきたんで、もう一度……」

 悪い予感がした。
カメラがスタートして、あとふた言で終わりという時に両替商がトチった。監督がイラついて「続けていこう! ヨーイ・スタート!」

 だが無理だ、両替商の顔が真っ青だ。続けさまにNG三連発! ちょっと休憩して――再開後、あとはもう役者もスタッフも交替にトチリまくった。2分間のシーンを2時間かかってやっと撮り終えたのである。

 その後、いよいよ松平健さん演ずる暴れん坊将軍の登場だ。
「お主らの悪だくみもそこまでだ!」 「何者!」 「予の顔を見忘れたか」 「上様!」

東映京都撮影所のメイク室
 座敷から廊下、階段を慌てて降りて、地べたに土下座する。そこはコンクリートの上に薄く砂を撒いてあるだけなのだ。最低3回はテスト、照明とカメラアングルの位置決めで正座をしたまま我慢が続く。膝にジャリが食い込む。

 悪の家老が万事窮して「上様の名を騙(かた)る不届き者! 切り捨てい!」と喚(わめ)いて立ち回りが始まる。その時はもう私は立ち上がるのが精一杯。あとはただうろうろと逃げ回るだけ。

 最後に将軍が「成敗!」と一喝すると、悪坊主の私はお庭番に一刀両断。1度倒れたら自力では起き上がれない己の身体が恨めしい。無情にもテスト3回、その度に助監督が起こしに来てくれるが、もうへとへと。斬られた瞬間、カメラに顔が映るようにとの注文……南無三!

 濛々(もうもう)と埃(ほこり)立つセットの中で始まったのは朝の9時、終わったのはめし押し(夕食時分)の夕方の6時。苦しくも楽しい1日であった。

 後日、放映を観た。ワンシーン・ワンカットの場面の私のおいしいセリフは無残にも途中で切られていた。


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