●こちらは「文芸漫談」の過去の公演リストです
Vol.19●2011年7月23日(土)葛西善蔵『子をつれて』
料 金■2,000円(全席自由)
会 場■北沢タウンホール(TEL.03-5478-8006)
世田谷区北沢2-8-18
作品詳細
『子をつれて』 梗概
借家を出され、子供を連れて夜の街をさまよい歩く貧しい小説家の哀感を描いたこの作品は、時代の流れもあり、また、酒浸り、病苦のあげく、家庭を捨て芸術至上へと向かう破滅型の作者への共感や一種の信仰をも生んだ面もあり、大正7年に大ブレイクし、葛西善蔵の自己小説の代表作となる。 題材は貧困と鬱憤の中と狭いものの、感傷やユーモアも捨てがたい魅力となっている。
<小説冒頭部分の紹介>
掃除をしたり、お菜(さい)を煮たり、糠味噌を出したりして、子供等に晩飯を済まさせ、彼はようやく西日の引いた縁側近くへお膳を据えて、淋しい気持で晩酌の盃を嘗(な)めていた。すると御免とも云わずに表の格子戸をそうっと開けて、例の立退き請求の三百が、玄関の開いてた障子の間から、ぬうっと顔を突出した。 「まあお入りなさい」彼は少し酒の気の廻っていた処なので、坐ったなり元気好く声をかけた。 「否(いや)もうこゝで結構です。一寸そこまで散歩に来たものですからな。……それで何ですかな、家が定(き)まりましたでしょうな? もう定まったでしょうな?」 「……さあ、実は何です、それについて少しお話したいこともあるもんですから、一寸まあおあがり下さい」 彼は起って行って、頼むように云った。 「別にお話を聴く必要も無いが……」と三百はプンとした顔して呟きながら、渋々に入って来た。四十二三の色白の小肥りの男で、紳士らしい服装している。併(しか)し斯うした商売の人間に特有――かのような、陰険な、他人の顔を正面(まとも)に視れないような変にしょぼ/\した眼附していた。 「……で甚だ恐縮な訳ですが、妻(さい)も留守のことで、それも三四日中には屹度帰ることになって居るのですから、どうかこの十五日まで御猶予願いたいものですが、……」 「出来ませんな、断じて出来るこっちゃありません!」 斯う呶鳴(どな)るように云った三百の、例のしょぼ/\した眼は、急に紅い焔でも発しやしないかと思われた程であった。で彼はあわてて、 「そうですか。わかりました。好(よ)ござんす、それでは十日には屹度越すことにしますから」と謝まるように云った。 「私もそりゃ、最初から貴方を車夫馬丁同様の人物と考えたんだと、そりゃどんな強い手段も用いたのです。がまさかそうとは考えなかったもんだから、相当の人格を有して居られる方だろうと信じて、これだけ緩慢に貴方の云いなりになって延期もして来たような訳ですからな、この上は一歩も仮借する段ではありません。如何なる処分を受けても苦しくないと云う貴方の証書通り、私の方では直ぐにも実行しますから」 何一つ道具らしい道具の無い殺風景な室の中をじろ/\気味悪るく視廻しながら、三百は斯う呶鳴り続けた。彼は、「まあ/\、それでは十日の晩には屹度引払うことにしますから」と、相手の呶鳴るのを抑える為め手を振って繰返すほかなかった。 「……実に変な奴だねえ、そうじゃ無い?」 よう/\三百の帰った後で、彼は傍で聴いていた長男と顔を見交わして苦笑しながら云った。 「……そう、変な奴」 子供も同じように悲しそうな苦笑を浮べて云った。……
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葛西善蔵 <1887年〜 1928年>
1887(明治20)年1月16日、青森県弘前市松森町に生まれる。
幼少の時、一家での北海道、青森・五所川原や南津軽郡碇ヶ関村などに転居した。
碇ヶ関尋常小学校補修科を卒業後、単身上京するも帰郷し、北海道で鉄道車掌、営林署勤務などをした。
1905(明治38)年に再び上京、哲学館(現東洋大学)で聴講生となるが、1908(明治41)年、徳田秋声に師事した。
郷里で結婚したが単身上京して、作家を目指した。
大正元年、広津和郎や谷崎精二らと同人雑誌「奇蹟」を創刊し、葛西歌棄の名で処女作『哀しき父』を発表した。
生活苦などのためその後も別居・同居(東京・郷里の往復)を繰り返した。
葛西は「自己小説」と呼ぶ私小説の文学像を追求し、『雪をんな』・『贋物』(いずれも大正6)などを発表した。
大正7年の『子をつれて』が評判を呼び、大正11年頃までが全盛期となった。
とくに『椎の若葉』や『湖畔手記』(いずれも大正13)などは詩情があり、哀愁ある心境に達した作品となっている。
結核のため体調は悪化し、1928(昭和3)年7月23日、世田谷三宿にて41歳で死去した。
嘉村磯多らとも親交があった。
葛西善蔵全集全5巻(改造社)ほかがある。
出演者プロフィール
いとうせいこう
1961年、東京生まれ。
早稲田大学法学部卒業。 作家・クリエーター。
『ノーライフキング』で小説家としてデビュー。
その後『ワールズ・エンド・ガーデン』『解体屋外伝』『豊かに実る灰』『波の上の甲虫』などを執筆。
2013年『想像ラジオ』で第35回野間文芸新人賞受賞。
最新作『鼻に挟み撃ち』(2013年すばる12月号)で2度目の芥川賞候補にノミネート。
主なエッセイ集として『見仏記』(共作/みうらじゅん)『ボタニカル・ライフ』などの他、舞台・音楽・テレビなどで活躍。
公式HP=http://www.froggy.co.jp/seiko/
奥泉 光
1956年、山形生まれ。
国際基督教大学大学院修了。小説家・近畿大学教授。
主な小説に『ノヴァーリスの引用』『バナールな現象』『「吾輩は猫である」殺人事件』『プラトン学園』『グランド・ミステリー』『鳥類学者のファンタジア』『浪漫的な行軍の記録』『新・地底旅行』『神器—軍艦「橿原」殺人事件』などがある。 1993年『石の来歴』で第110回芥川賞受賞。
2009年『神器—軍艦「橿原」殺人事件』で第62回野間文芸賞を授賞。
2014年『東京自叙伝』で谷崎潤一郎賞を授賞。
公式HP=http://www.okuizumi.com/