長嶺ヤス子 プロフィール TOP
1936年、会津若松市出身。
3歳の頃からモダンバレエを学ぶ。19歳の時、故・河上鈴子門下生となり、スペイン舞踊に進む。

1960年、在学中の青山学院を中退し、単身マドリッドに留学する。血みどろの修行を経て、スペイン随一といわれるタブラオ・コラル・デ・ラ・モレリアに日本人として初めて出演し、絶賛を浴びる。

1975年、NHKホールでスペインの国民的詩人ガルシア・ロルカの長編詩「イグナシオ・サンチェス・メヒーアスへの哀歌」の舞踊化に挑戦。一人の闘牛士の生と死を踊って、芸術祭優秀賞と舞踊批評家協会賞を受賞。

1977年、「サロメ」では、女の魔性とエロティシズムの大胆な表現に成功してゴールデンアロー賞を受賞。
以後、ロック、アフロ、サンバなどとその創作意欲は留まるところを知らず、国境を超え、民族の別なく、その血とリズムを吸収しながら独自の世界を創り始める。

1980年、母なる日本に回帰し「道成寺」に挑む。形骸化しつつある古典舞踊を現代に蘇生させた踊りと絶賛を浴び、芸術祭大賞に輝いた。

1982年、宿願のニューヨークのリンカーンセンターで「道成寺」を再演し、3000名を超える観客を魅了。“東洋と西洋を結ぶ踊り”と評され、国際的ダンサーとしての評価を得る。

1983年、50人の僧侶による声明をバックに、人間の原罪と救済を追及した「曼陀羅」を上演。翌年、ニューヨークで再演し大反響を巻き起こした。

1985年、「鷺娘」
1986年、「鬼婆」
1987年、「安達ヶ原」「浮世風呂」と伝統的な世界へオリジナルな発想をもって取り組み、注目を集める。

1988年
、創作フラメンコ「ある恋の物語」
1989年、能の「鐡輪」、「オイディプスを愛して」
1990年、「うきふね」国立劇場、「ローレライ」中野サンプラザ
1991年、「羅生門」国立劇場、「メドゥーサ」中野サンプラザ
1992年、「雨月物語」国立劇場、「くろいわらべ唄」中野サンプラザ
1993年 「卒塔婆小町」国立劇場とニューヨーク・エクイタブルシアター、「宇受女」 中野サンプラザ
1994年、「三国妖狐伝」国立劇場、「炎のように火のように」中野サンプラザ
1995年、再演「鬼婆」国立劇場、「裸足の伯爵婦人」中野サンプラザ
全国13ヵ所で「僧侶と托鉢 行脚の旅」を行い、寺院の庭、四条河原、公園などで踊り、話題を呼ぶ。

1996年、「櫻姫」国立劇場、「娼婦マヤ」中野サンプラザ
1987年、「滝夜叉」国立劇場、「シバ」中野サンプラザ
1998年、「名月八幡祭」国立劇場、「サンセット大通り」中野サンプラザ
1999年、「ヤス子 炎 フラメンコ」(青山・円形劇場)と題して20年ぶりにフラメンコを踊る。「三井の晩鐘」(国立劇場)「双頭の鷲」中野サンプラザ

2000年、「あるジプシーの女」(大崎ゲートシティーホール)「黒魔術の女」中野サンプラザ
2001年、「あるジプシーの女」(アートスフィア)「さいかく〜好色一代女」(国立劇場)「ジプシー」中野サンプラザ
2002年、「ガラスの糸の上で」(アートスフィア)「妖花かつらぎ」(国立劇場)「ジプシー」中野サンプラザ
2003年、「愛と死を抱きしめて〜白蛇伝」(アートスフィア)「オルフェ」中野サンプラザ


長嶺ヤス子のニューヨーク公演

1982年、「娘 道成寺」リンカ−ンセンタ−

1984年「曼陀羅」カーネギーホール

1993年、「卒塔婆小町」(三島由紀夫作)ブロードウェイ中ホール

2002年、紫綬褒章を受賞
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