人間の心の豊かさは、その人間の心の傷の量に比例する

現実の事件からひらめいて
 創立当時6、7名だった劇団員が、わずか1年後の昭和58年暮れの贋作「タクシードライバー」公演の時に一気に23名に増えていた。すると私の中でムクムクと悪意が芽生えた。

 少しスタイルがいいだけで、少し可愛(かわい)いだけでスターになれると思い込んでいる若者たちを、どん底に陥れることから作業が始まった。今まで本当に人に叱(しか)られたこともなく、ぬくぬくと幸せに生きてきた若者をどうシゴいていくのか……

 先(ま)ず役者は日本語を正しく話すことが出来なければならない。次に相手の心のうちが分からないと、己のセリフは喋(しゃべ)れない。となると、日頃から他人の心をおもんばかって生きる人間でなければ役者にはなれない。そのための訓練とは、日々稽古(けいこ)場で汗と恥をかくこと、傷つくことだ。人間の心の豊かさは、その傷の量に比例する。

 華やかな芝居の世界に憧(あこが)れ、一獲千金を夢見た若者はあっという間に絶望の淵(ふち)にたたき落とされる。そこから這(は)い上がってくるものだけが本物の役者になる。私の悪意(役者教育)は功を奏し?劇団員が3か月で半分に減ったのである。


 ちょうどその頃、読売新聞の三面のべ夕記事で“新人セールスマンの殺人”朝から連続10軒断られ続けて、最後の家で若い主婦に侮辱され、堪忍袋の緒が切れ殺人を犯した。入社して3か月だった。

若い俳優は葛藤(かっとう)をバネにたくましく育つ
 私を殺したいほど憎んでやめていった奴がいたんではないかと思うと、ぞっとした。我が劇団の稲健二は、真剣に私を憎んでいたそうである。当時、彼は稽古場に出て来ても私に目を合わそうとせず、吃音(きつおん)症の兆候が現れ、どんどん寡黙になっていった。

 そこで私はひらめいた。昔劇団民芸が滝沢修主演でやった『セールスマンの死』(作=アーサー・ミラー)《華やかなアメリカン・ドリームに敗れ、くたびれ果てた初老のセールスマンが呑(の)んだくれて死んで行く話》を思い出した。

 アーサー・ミラーに敬意を表し題名は『贋作セールスマンの死』。主役の青年タケシは大学は出たけれど、気の弱い吃音症の彼は、大企業に就職する勇気もなく、中学の時の英語の先生に勧められ、子供の頃から大好きだったツミキを作る会社に入り、新型ツミキを考案。例えば猫が組みあがりリモコンのボタンを押すと「ニャーオ・アイム・キャット」と英語が聞こえてくる。

 今や語学教育は大流行(はや)り、会社も大儲(もう)け。ところが営業部に配属されたタケシは、客の家の玄関の前に立つと吃音症が頭をもたげ一言も出てこない。
 ――それが、役者稲健二の現実と重なって、素晴らしいリアリティを生んだのであった。

 この『贋作セールスマンの死』を、9月14・15・16日トリイ・ホール(大阪市中央区)で二代目セールスマンを阿南忠孝が演じます。日頃餞舌(じょうぜつ)な彼がどれほど寡黙な男を生きられるか。役者・阿南の試練の場であり、見せ場である。


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