ホンマモンとニセモン

『それからの武蔵』の僧侶姿
 その日は朝から清々(すがすが)しい雲一つない小春日和であった。薄暗いセットの中もなぜか心地よかった。

 『それからの武蔵』で武蔵(北大路欣也)と拙僧(私)の2人だけのシーンであった。人生の岐路に立たされた武蔵が、苦悩にうちひしがれてわが寺に逗留(とうりゅう)し、僧との深い交流の後、迷いから覚め、旅立って行くという話である。

 ピーンと張りつめた緊張感に包まれて撮影は粛々と進み、己が役者という認識を忘れ、まさしく武蔵の人生の師として、自分の言葉が自然に吐き出されているのを感じながら撮影は終わった。坊主頭を撫(な)でて行く風も気持ちよかった。

 撮影所をあとに三条通りを出てすぐ、正面から若い修行僧が2人、近付いて来たかと思うと、私の前で静かに止まって合掌して通り過ぎていった。私も自然に手を合わせ答礼をしていた。私の中にまだ武蔵と対峙(たいじ)していた時の顔が残っていたのかなと、苦笑い。

 それから大阪へ、地下鉄日本橋を下りて稽古(けいこ)場に帰るべく、堺筋を出てほんの数歩あるいた時にバカ笑いが聞こえた。真っ正面から男が3人道幅いっぱいに歩いて来た。どこへも逃げようがなかった。

 センターにスキンヘッドに真っ白いダブルのスーツを着た男が、両サイドに真っ黒の背広を着た男を従えて、大きな口を開いて、それも金歯金歯金歯だらけだった。

 こちらは坊主頭に薄いブラウンのサングラスにライトブルーの細かい唐草模様の作務衣に甚平。なぜか私は急に早足になり彼らに近付いていった。

 彼らは驚いたように立ち止まり「オッス!」といって軽く頭を下げ、道の真ん中を開けてくれた。私は自然に、ごく自然に、低い声で「ありがとう」といって通り過ぎていた。何がそうさせたのか、心は意外に静かであった。

「部長刑事」(朝日放送)で、やくざの親分を演じる

 先日、わが劇団の二枚目(看板俳優)にVシネマで大役が舞い込んできた。任侠(にんきょう)ドラマでインテリヤクザの親分である。セリフの量も膨大で、入れこんで早々に撮影所に入った。

 初日はヤクザの親分衆の会合のシーンであった。役者たちは早めに衣装を着替え、メイクをすませ、控え室でセリフを操っていた。そこへホンマモンの親分(50前後、がっしりとした大男)が子分を従えドヤドヤとなだれ込んで来た。

 ニセモンの親分(役者)たちは度肝を抜かれて、下を向いたまま縮こまって台本にかじりついていた。

 やがて撮影開始のアナウンスが流れ、セットに入り、所定の椅子に座る。先程まで控え室でオドオドしていたニセモンの親分(役者)たちが堂々としており、ホンマモンの親分の表情はかたく、目はうつろであった。

 ニセモンの親分(役者)たちが朗々とセリフをこなしたあと、最後にホンマモンの親分の順番が来た。長ゼリフ(数行)である。一行もしゃべらないうちにのどが詰まって空咳(せき)、やればやるほど蚊の泣くような声になってゆく。

 監督が気を遣って「これはテストですから気楽に!」 「もう一度台本読みますか」と優しく何度やっても駄目。仕方なく長ゼリフは三分割されて、役者の親分衆に振り当てられた――、わが劇団の俳優もおコボレにあずかったようである。

 映像・演劇というニセモンの世界では、ホンマモンはニセモンよりニセモン臭く、ニセモンはホンマモンより、よりホンモンなのである。


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