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●こちらは「文芸漫談」の過去の公演リストです

Vol.01●2006年5月30日(火)ゴーゴリー『外套』『鼻』


料 金■2,000円(全席自由)
会 場■北沢タウンホール(03-5478-8006)

    世田谷区北沢2-8-18

作品詳細

『外套』梗概

主人公のアカーキー・アカーキエヴィッチは、ロシアのペテルブルグの小官吏で、文書の筆写をするのが仕事である。給料が安くて、これほどボロはないという、外套を毎日着て出勤するので、みんなにバカにされている。
だが、いつかは良い外套を買おうと思って、裏地にはどんな生地を使って、襟にはどんな動物の毛皮を使って、などと夢見ている。
ところがある日、上司が給金を思いもかけず50%も上げてくれた。そこで彼は、数ヶ月節約し、ついに念願の外套を買い求める。
職場の人たちは急に愛想が良くなって、お披露目パーティをやろうと言い出す。彼はカネがないので困っていると、上司がティーパーティを開いてくれた。
しかし、せっかく開いてくれたパーティはどうも居心地が悪いので、午前零時に人より早く、そっと抜け出す。
ところが、その帰り道に暗い所を通ったら強盗にあって、身ぐるみ剥がれてしまう・・・・・

『鼻』梗概

八等官のコワリョーフの鼻が、ある日突然、彼の顔から失踪する。 そしてあろうことか、うろんな紳士の「鼻氏」として、鼻をなくしたコワリョーフの前に現れ、彼を鼻にも引っかけず右往左往するというお話。
実に奇妙奇天烈、人を食ったストーリー。

ゴーゴリー<1809年〜1852年> 旧ロシアの小説家、劇作家

ウクライナのソロチンツィの小地主の家に生まれる。
ソ連時代のゴーゴリ研究によると、先祖はヤノーウシクィイ(ロシア語:ヤノフスキー)姓で、ウクライナの聖職者であったが、祖父の代(18世紀後半)に至り、婚姻によって領地を得、地主となった。
1783年、エカチェリーナ2世がウクライナに農奴制を導入するに伴い、貴族の称号を持たない者には地主としての土地と農奴の所有が許されなくなったため、フメリニツキーの乱に参加したウクライナ・コサックの連隊長であるオスタープ・ホーホリ(ロシア語:オスタープ・ゴーゴリ)なる人物を、自家の系図の筆頭に据え、姓もホーホリ=ヤノーウシクィイ(ロシア語:ゴーゴリ=ヤノフスキー)と改めた。
父親のヴァスィーリ・ホーホリ=ヤノーウシクィイ(ロシア語:ワシーリー・ゴーゴリ=ヤノフスキー)は、アマチュア劇作家で、ウクライナ語による劇作品を2篇遺している。

1818年、弟イワンと共に親元を離れ、ポルタヴァの小学校に入学。翌年弟が死去し、深い衝撃を受ける。1821年、ネージンの高等中学校に寄宿生として入学。在学中は学業よりも絵画と文学に熱中し、また父譲りの演劇の才を発揮して、学校劇では老け役や吝嗇漢を演ずるのを得意とした。卒業後、1828年にサンクトペテルブルクに移り、長詩『ガンツ・キュヘリガルテン』をV・アロフなる筆名で自費出版するが、酷評され、失望のあまり国外へ逃亡する。同年、ペテルブルクに舞い戻り、俳優を志すが失敗し、かろうじて下級官吏の職を得る。
この時期の、薄給に喘ぐ貧寒な生活の経験は、都市の下層民や小役人や俗物たちを描くのちの「ペテルブルクもの」と呼ばれる作品群に活かされることになる。
1830年、『ビザヴリューク、あるいはイワン・クパーラの前夜』を匿名で発表、不遇のうちにも詩人ジュコーフスキーや、ペテルブルク大学総長で詩人・批評家のピョートル・プレトニョフの知遇を得る。1831年には愛国女学院に職を得て生活も安定し、同年5月、ジュコーフスキーの紹介でアレクサンドル・プーシキンと会う。プーシキンはゴーゴリの才能を評価し、以後、親交を持った。
同年9月、当時流行のウクライナのフォークロアに取材した『ディカーニカ近郷夜話』(第1部1831年、第2部1832年)を出版し、一躍人気作家となる。
1834年から1835年までペテルブルク大学で歴史を教える。
その後、ウクライナ物を集めた『ミルゴロド(ロシア語版、ドイツ語版、英語版)』や、ペテルブルクを舞台にした『肖像画』、『ネフスキー大通り』、『狂人日記』、『鼻』などの中編小説(ポーヴェスチ、повесть)で文名はいよいよ高まる。
1836年の戯曲『検察官(ロシア語版、ドイツ語版、英語版)』によってその名は広く一般に知られるところとなるが、その皮肉な調子は非難の対象となり、それを避けてゴーゴリはローマへ発った。途中パリでプーシキンの訃報を知り、衝撃を受ける(1837年)。
これ以降彼は、教化と予言とによってロシア民衆を覚醒させ、キリスト教的な理想社会へと教え導くことこそが自己の使命であると痛感するようになる。

ゴーゴリはその残りの人生の大部分をドイツとイタリアで過ごした。その頃の手紙によって、ゴーゴリには同性愛的傾向があったと言われる。
1839年に恋人の突然の死を経験するが、その事件が彼の後半生にどのような影響を与えたのかについては未だ謎が多い。『死せる魂』と『外套』を書いたのはこの頃のことである。
『死せる魂』第一部は1842年に刊行された。ゴーゴリにとって、第一部は克服すべきロシアの腐敗を描いた序章にすぎず、第二部・第三部において主人公チチコフの成長と魂の救済、美と調和を体現する理想のロシアが描かれる筈であった。しかし、執筆は遅々として進まず、1845年、苦悶のあまり第二部の草稿を火中に投じる。
1847年、『友人との往復書簡選』を出版。その頑迷で教条的な説教と、帝政と農奴制を賛美する反動思想とにより、ベリンスキーをはじめそれまでゴーゴリを高く評価してきた多くの支持者を失う。
1848年、次第に信仰にのめり込んでいたゴーゴリはエルサレムへ巡礼に旅立つ。エルサレムより戻った後、聖職者コンスタンティノフスキーの影響のもと、信仰生活のために文学を棄てることを決心し、書き溜めてあった『死せる魂』の第二部をふたたび焼いてしまう。
彼がモスクワで歿したのはその10日後、1852年3月4日のことだった。
『死せる魂』の第二部は、その一部が残されており、刊行されている。

出演者プロフィール

いとうせいこう

1961年、東京生まれ。
早稲田大学法学部卒業。 作家・クリエーター。
『ノーライフキング』で小説家としてデビュー。
その後『ワールズ・エンド・ガーデン』『解体屋外伝』『豊かに実る灰』『波の上の甲虫』などを執筆。
2013年『想像ラジオ』で第35回野間文芸新人賞受賞。
最新作『鼻に挟み撃ち』(2013年すばる12月号)で2度目の芥川賞候補にノミネート。
主なエッセイ集として『見仏記』(共作/みうらじゅん)『ボタニカル・ライフ』などの他、舞台・音楽・テレビなどで活躍。
公式HP=http://www.froggy.co.jp/seiko/


奥泉 光

1956年、山形生まれ。
国際基督教大学大学院修了。小説家・近畿大学教授。
主な小説に『ノヴァーリスの引用』『バナールな現象』『「吾輩は猫である」殺人事件』『プラトン学園』『グランド・ミステリー』『鳥類学者のファンタジア』『浪漫的な行軍の記録』『新・地底旅行』『神器—軍艦「橿原」殺人事件』などがある。 1993年『石の来歴』で第110回芥川賞受賞。
2009年『神器—軍艦「橿原」殺人事件』で第62回野間文芸賞を授賞。
2014年『東京自叙伝』で谷崎潤一郎賞を授賞。
公式HP=http://www.okuizumi.com/